心と体

January 18, 2009

EMOの見立て-1

PCのubicast Bloggerから久々ぶりの投稿です☆

「時間が好きな なかなかアーティスト」

「なかなか」「時間」がない、ばかり書いていたせいか、口癖にされてしまいました~(^_^;)

>イイところ
>あなたは、とても感性豊かで創造力に優れたアーティストタイプです。
>次から次へと湧き上がるアイデアは人々に影響と感化を与えます。

ほぇ~、そりゃすごい…。

>他人の心理や感情を汲み取るのが得意で、どんな些細な変化も敏感に察知します。
しかし、それをどうこうしようとは考えていません。

「どうこう」って…しようとする人いるのか…。操作タイプの人?

>人は人、自分は自分のスタイルがあると考え、自分の可能性を追求することに人生の意味を見出すでしょう。

いいですねぇ~。多様なカリスマの花が咲き乱れるのが理想郷かも。

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January 17, 2009

emo - 新しいblogパーツ

Mindmapを作成する良いソフト(まぁ、Mindmapは、手書きが本来あるべき形なのですが、ここまでPC・携帯入力が進んでしまうと、デジタル的に作成したいですよね)を探していて、ふと面白いブログパーツを見つけました。
(Web参照履歴がバレそう…)

emo「エモ」です。→

新しいエントリーを投稿すると明日には反映されるらしいです。
一体、どんな顔なのかな、このブログ…。

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January 08, 2007

主のご公現、おめでとうございます!

さてさて、昨日の日曜日(1/7)は、クリスマスの次の次の日曜日で、星(星占い)の導きだけを頼りに、別々の国から(連絡を取り合うこともなく)、ベツレヘムの町の馬小屋の飼い葉桶の中に眠る幼子イエスを礼拝しにやって来た、東方の三博士(三賢者)を記念する「主のご公現」(Epiphany)のミサがありました。

東方とは言いますが、北アフリカの方からやって来た博士もいたようで、言われているように必ずしも、ペルシアのゾロアスター教の祭司だった訳ではないようです。

この三人の博士は、青年の博士はメルヒオール、壮年の博士はバルタザール、老人の博士はカスパール、と言う名前だったと伝えられていますが、それぞれ、王様への贈り物にふさわしい「黄金」と、神に仕える祭司への贈り物にふさわしい「乳香(にゅうこう)」と、受難によって死に至る預言者への贈り物にふさわしい「没薬(もつやく)」を携えてやって来ていて、赤ん坊であるイエス様にお献げしたのでした。

…ところで、この三博士の名前、どこかで聴いたことありませんか? そう、「新世紀エヴァンゲリオン」のNerv(ネルフ)本部の地下に設置されている三台のスーパーコンピュータの名前ですよね。赤木律子博士のお母さんの「科学者として/女として/母親として」の心が籠められていたんでしたっけ?

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November 04, 2006

久しぶりに…

11月、死者の月に入りましたです…。

寒かったり、熱かったり、忙しかったり、…で、風邪です。
せっかくの初土なのに、チェナクルムもお休みです。(弁理士の予備校も)
こんな時でもないと、最近はまったく時間がなくて、ゆっくりとこの新しいGateway君を開くこともできません。

10月27日に最後に電源入れてメールチェックしてからの間に、何か起こったのか、 今日はまともにWindowsが起動しませんでした。
思い当たるのは、最後に電源入れた日近辺にインストールしたフランス語の「La Bible Online」。
これは、プログラム上に現れるフランス語の利用規約やらメニューやらメッセージやらも読めるように、システムの設定、いじったから、 もの凄く「ヤバイかも…」みたいな認識、濃厚。

いろいろセーフモードでエラーメッセージを読んでみましたが、どうも「NetBios」関係の不具合のよう。
だけどさー、単純にWindows起動することと、ネットワーク接続とは関係ないんじゃない?ってな気がしていたので、「もう、 最近のOSは~っ!」と納得いきません。
で、なんとなく、光通信のアダプタで「更新」ボタンなんぞ押してみたりしたら、ちゃんと起動できるようになりました。

ますます、納得いきません。

 

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October 29, 2006

MOT(マネジメント・オブ・テクノロジー)

10月28日~29日の週末の二日間、放送大学の面接授業「バイオビジネスにおけるMOT」(MOT=マネジメント・オブ・ テクノロジー)で、久しぶりに我が所属する放送大学・東京世田谷学習センターにまで、足を運んで参りました。

うーん、久しぶりの下馬キャンパス!

いつもいつも、中庭のテニスコートでは、誰かしらテニスしていて、いい感じです。

教務の受付前でテニスコートに見惚れ、「どうしたらここでテニスできるのか」教務に質問していた長身のお兄さんを、「フンフン、 君もテニス、するのかね?」、…とちょっと競争心煽られ気味のチロ目で見てしまいました。

そういう私も、昨年8月にプレイしたのが最後。
テニス、したいなぁ~。

…で、講義の中身の方はどうだったかって?
MOTに関しては、特に「メーカーでのR&D(研究開発)のマネジメント」と言う、 マネジメントの学問分野ではあまり進んでいない部分にいちばん、関心があったのですが、講師の方が農学部の教授出身で、 TLO運営に引っ張り出され、自分でも有限会社やらNPO立ち上げたと言うおもしろい先生でしたが、法律(知財)の専門家でも、 経営学の専門家でもないので、…う~ん、ま、こんなもんでしょう。

11月には、発明協会主催の「特許流通講座(実務編)」に出席するので、その時に、MOTは無理でも、私の知りたいこと(特に、 特許価値評価)を多少なりとも、解決してきます。

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February 16, 2006

あちこちに、RFID

今日(日付変わって、既に昨日)のテレビのニュースで、無線ICタグを使った仮想メーク実験について報道されていましたけれど、 その話も含めて、国内外でのRFID関連情報満載のサイトは、コチラ

 

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ユーロ紙幣よ、お前もか…

ところで、先に投稿した記事「【現代社会と霊性】2.ICチップで「守られる」時代」中で紹介した記事:
体内にチップを埋め込み、便利なキャッシュレス購入を2003年11月25日付 HOTWIRED JAPAN
の中で「キリスト教原理主義者の一部」として言及されているゲリー・ウォルシャイド氏の運営する『ジーズ・ラスト・デイズ・ミニストリーズ』というウェブサイトでは、

"Hitachi is rumored to be in talks with the European Central Bank about embedding radio tags into euro banknotes."
(日立は、ユーロ紙幣に無線発信チップを埋め込む件につき、欧州中央銀行と交渉に入っている、との噂だ)

とあったので、「…えっ、ホントに~!?」と調べてみたら、ありました(私って、ホント、ウラシマですねぇ…):

ユーロ紙幣が日立製ICチップを導入へ (2003年05月21日2時34分付 Slashdotスラッシュドット ジャパン)

偽造防止と言う名目のようですが。嫌だなぁ…。

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【現代社会と霊性】2.ICチップで「守られる」時代

米国初、体に埋め込んだICタグで従業員を認証2006年2月14日付 HOTWIRED JAPAN

またまた、いよいよ来たか…、と言う感じですね。
911以降、過熱しているセキュリティ技術の応用に関連したテーマを、お財布ケータイの登場の時に書こう、 書こうと考えていたのですが、またもや、その為の良い?機会が与えられたようです。
 
…え、何が、…かって? 勿論、「666」(黙示録13:16-18)の時代ですよ。
 
16また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、 すべての者にその右手か額に刻印を押させた。17そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、 売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。18ここに知恵が必要である。賢い人は、 獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。(新共同訳)
 
黙示録をはじめ、聖書中の預言の内容は、書かれた時期に続く時代に実際に起きた出来事であると同時に、終末の時代、 主の再臨の前にも再び、実現する出来事であるとされています。
例えば、旧約聖書のヨエル書3:1-2(BC440年~400年頃)の
 
1その後
わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。
あなたたちの息子や娘は預言し
老人は夢を見、若者は幻を見る。
2その日、わたしは
奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。
 
と言う箇所は、現代の聖霊刷新運動(プロテスタントのペンテコステ派等では、「カリスマ刷新」等と呼ばれているそうですが) のことを指している、と言われていますし、同じく旧約聖書のダニエル書9:25-27(BC520年頃)の
 
25これを知り、目覚めよ。
エルサレム復興と再建についての
御言葉が出されてから
油注がれた君の到来まで
七週あり、また、六十二週あって
危機のうちに広場と堀は再建される。
26その六十二週のあと油注がれた者は
不当に断たれ
都と聖所は
次に来る指導者の民によって荒らされる。
その終わりには洪水があり、
終わりまで戦いが続き
荒廃は避けられない。
27彼は一週の間、多くの者と同盟を固め
半週でいけにえと献げ物を廃止する。
憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。
そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。
 
と言う箇所も、ダニエルが書いた時代より後の、セレウコス朝シリアのアンティオコスⅣ世エピファネス(在位BC175年-BC163年) の時代に起きた、旧約聖書続編マカバイ記の出来事のことを預言していると同時に、 主の再臨前である終末の時代=現代に再び実現する出来事であるとされています。
 
アメリカのセキュリティ関連企業が、志願した従業員の前腕に「入室カード」 として機能する信号は発しないICタグを埋め込んだとのことで、自らもICチップを埋め込んだCEO(最高経営責任者)は、 ICチップの有無と雇用とは関係ない旨言明していますが、このようなことが一般的になれば、そのうち、(現に、 クレジットカードを持っていることは、その人の経済的信用を証明するものとされているように)「危険でない人物」「信用のある人物」 =ICタグを埋め込んだ者、と同義になり、ICチップのない者は恐くて採用できない、と言う企業も現れるでしょう。
 
ICチップの人体埋め込みは、今回の米国民間企業による従業員への適用事例以前にも、記事中に「メキシコ検事局では、2004年に、 いわゆるRFID(Radio Frequency IDentification: 無線通信による識別技術)チップを一部の職員の体内に埋め込み、立ち入り制限区域への人の出入りを管理している」 と紹介されているように、行われていますし、
 
(他、HOTWIRED上に関連記事多数)と言ったように、徐々に市民社会に浸透してきている様子が伺えます。
既に、EdyカードやSUICAでの買い物や電車乗車はごく日常的になっていますし(私自身も両方共、使っています)、 こういったことに慣れて行ってしまう自分も恐いです。
「~が起きたら、引き際」と思っていては遅いのかも…。「ぬるま湯の中のカエル」と同じでしょうかね。

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February 15, 2006

ども、ご心配いただいてます…

1月末に派手に転んで以来、各方面からご心配いただいてます~。

ctさん、MTさん、コメントありがとうございました。

表面から見える外傷も、そろそろ、薄くなってきた感じです。
外からは見えない痛み(特に、左半身)も、だいぶ良くなってきたか知らん。

ただ、ミサ中の聖変化(横浜教区では跪かないようですが、東京教区の小教区では跪くことが多いので;勿論、病人・怪我人・ご高齢の人等、 跪かなくても構わないのですが、私は跪く方が落ち着くので、怪我していても、膝台・膝枕が無くても、もう習慣的にドスンッ! と跪いてしまいます)の時がちょっと辛いのと、長いこと同じ姿勢で寝る日々が続いたので(別に寝たきりだった訳ではありません)、 変な風に体が凝ってしまって、そちらが気になる(^_^;)程度でしょうか。

階段を降りる時なども、一瞬、ちょっと「怖いな」と感じますが、気をつけて「一段飛ばし」などしています。(-_-;)

そういう身体面での傷は、まぁまぁ快方に向かっているのですが、HDDをパーにしてしまった心の傷の方が大きいかも…。
「しょうがない」と思う気持ちと、「転ぶ前に既に壊れていたのに!」と言う憤りとが、交互に襲います。あ~あ。

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February 10, 2006

「【試訳】ピオ神父のカテキズム」について

ココログで別に公開しているブログ「【試訳】ピオ神父のカテキズム」は、考えあって、今月いっぱいで閉鎖することにしました。

ながらくのご愛読、ありがとうございました。

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February 05, 2006

う~ん、これは痛い…

(森進●の声で)…ども~、皆さん、お久しぶりです…。先週の日曜(1月29日)に英検を受験してから、ネットの世界からは雲隠れしているラファエラ姉さんです。

いやぁ、参りました、英検。…じゃなくて、英検試験会場付近の舗道。私は1日で2回も転んでしまいました。

まず1回目。お昼(私は午前の準1級・午後の1級併願だったので)のおにぎりを近くのコンビニで調達しようと、試験会場を後にし、午前中の英検が終了し帰宅でごった返す歩道を歩いていると、この歩道、日陰側に1本(車道だったら1車線とでも呼ぶところだけど)しかない。で、以前の雪が解け残って凍ってカチコチに固まっていたりする。「人が多くて真っ直ぐ歩けないなぁ…」と、ちょっとイライラ。…と、
その瞬間、その凍った雪の上で、私の右足のブーツのかかとがスリップッ! 背中から派手にひっくり返りました。カバンの中には、1月末で保証期限を迎える修理用のハードディスクドライブも入っていて、その重みで余計、バランスを崩すことになったみたいです。
ふと右上を見上げると、私の顔のすぐ横を携帯で喋りながら通り過ぎていくお兄ちゃん。危ないなぁ、もう少しで私の顔、踏むところじゃないかぁ~。それにしても、途行く人、皆さん、無関心。転んだ私もちょっと恥ずかしかったので、それはそれで気持ち助かったのですが、それにしても冷たいなぁ~!

でも挫けずに、痛い脚をさすりながら、コンビニ探し。あたりは団地だらけで、店がない。「●ヶ丘ショッピングセンター」という表示のある場所に入り込むも、日曜のためか、酒屋しか開いていない。ん~、これから又試験だしぃ、昼間っからお酒じゃないよねぇ~(…そういう問題じゃないか)
「…お、お、お、何という町だ、まともに開いている店が一軒もないとは…」と驚き呆れながら「霧●丘ショッピングセンター」を後にすると、その内心の罵倒が呪いとなって祟ったのか、今度は、微妙に綺麗に彩色された下り階段の段差がよく見えずに、足を踏み外して、本日2回目の大転倒。今度は、前のめりにぶっ倒れました。これは効いた~。もう、午後の試験は諦めて、泣いてお家に帰ろうかと思いましたよ。

でも、カバンの中には、壊れてるハードディスクドライブ以外にも、聖ヨゼフさまの御像が入れてあって、そちらも心配だったので、コンビニおにぎりは諦めて、試験会場に戻り、御像と患部を確認。白い瀬戸物のヨゼフさまは無事。患部はというと…、うーん、右膝から出血。左手のひら~手首にかけて、夥しく内出血しており派手に青アザ(というか、紫だけど)。どことは判らないけれど、全身あちこちが痛い。

まぁ、何となく座って受験できそうな気がしたので、家から持参したおにぎり1個とウィダーインゼリーを食事にして、そのまま午後の試験会場へ。途中、在校生用のスナック自販機。何だ、こんなのがあったのね。これでもお腹の足しになったのに。
午後の試験、途中何度か、座っている臀部や腰、背中が強烈に痛み出して、思考どころじゃない瞬間もありましたが、無事だった右手で作文も必死になって書いて、何とか終えることが出来ました。

帰りは、1日がかりの英検を無事終えた高揚感で、何と、霧ヶ●から青●台までの1時間の道を歩いてしまいました。しかも、駅からの歩く距離の長い●沼教会のミサにも出席。この日は良かったんですよ、この日はね…。えーん。

※2006年2月6日23時現在、今も全身痛いです。時々、左胸が、真空になったように息苦しくなります。あばら、折れてるかも…(以前も、「あばらが折れてるかも」と勝手に思い込んで、整形外科に行ったら、帯状疱疹だったので、今度も違うかも)

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January 21, 2006

雪ですわ~

横浜も、今朝は雪ですねぇ~。

この写真は、今朝10時頃撮った写真(玄関から隣家を臨む)です。
まだ、朝なので5㎝位なものですが、果たしてどれ位積もるのでしょうねぇ。
うちなんて、築30ン年なので、雪の重みで潰れないといいのですが…。

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January 19, 2006

生協が届いた!

京都で1人暮らししていた頃は、大学生協やら、市民生協やら、はては、「使い捨て時代を考える会」の「安全農産供給センター」 の野菜の共同購入やらに加入していたのですが、親元に帰ってきてからは、母がそういうことに無頓着なので、さっぱりでした。

が、昨年末に、生協に、ギリギリ駆け込み入会しました。

うちの近所では、3種類の生協に入会可能なんですが、

1.出資金が安い
2.食品の安全にこだわりがある
3.カタログが、安全や料理の献立の点で、インフォマーティブ
4.(3.にも関連して)そこの食材を使って料理するのが楽しくなる

ような生協を選びました。(…でも、これは後で付け足りの選択基準かも…。だって…)まぁ…、しかし、決定的だったのは、 可愛い牛くんのマスコットキャラクターだったかも。(^_^;)

←入会日に、まず、マスコットのイラスト入り・ミニ調味料入れセットをもらいました。 (ぼやけてて見えにくいでしょうが、下記の理由*により、ご容赦)

そして、今年の第三木曜日である19日が、我が家ヘの初めての配達の日で、可愛いパッケージの牛乳が届きました。冬の間、 この牛乳パックの牛くんのイラストは、マフラーをしているのだそうです。(*写真を載せたいが、この牛くんキャラは、 生協が著作権を持っていて、キャラクターの管理をきっちりやっているらしいので、割愛)

この日は、他に、入会プレゼントの、豚肉セット(ロース薄切り、小間切れ肉、ポークウィンナー、ロースハム)も貰いました。 このロース薄切り肉については、今度、【夜の仕事人】に書きます。

入会8週間は、牛乳と、ウィンナーと、もめん豆腐と、お米が、通常の1割引になるそうです。

なお、あんまり個人情報の開示になってもいけないので、上に固有名詞等は出しませんでしたが、この生協に関して詳しくは、 コチラをご覧下さい。

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January 18, 2006

【夜の仕事人】今夜は不作…

風邪は治ったものの、作業が溜まりに溜まってしまっているので、何だか徹夜です。

特に、ブログの記事がたくさん、溜まってしまいました。Seesaaブログの方はいいのですが、cocologのこちらは、 1週間新しいエントリーがないと、トップページが白紙になると言う恐ろしい設定になっているので、何とか埋めてしまわないと… と言う強迫観念が私を苦しめます(^_^;)

夜遅くまで起きていると夜食が欲しくなりますし、またそろそろ、ここらで「夜の仕事人」シリーズ(…と、今、 勝手に命名した私のお料理パフォーマンス記録)も欲しいところでありますが、今夜は冷蔵庫を漁ってみたら、…な、何と、 14日までの餃子が出て来ました…。(私が買って来たのではありません)
(;_;)(T_T)(;_;)(T_T)(;_;)

…お腹壊さないといいけど…。

※…と言う訳で(?)、「カテゴリー」に「【夜の仕事人】」を追加しました~。左サイドバーのう~んと下の方の「カテゴリー」で 【夜の仕事人】をクリックすると、バックナンバーがまとめて表示されます~

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January 16, 2006

とってもXファイル

京都の友人がこの週末から東京に来ていたので、一緒にイグナチオのミサに出ることにして、地下鉄丸の内線の車内で、とってもシュールな話を聞きました。

あの、ロズウェル事件の際、墜落したUFOと思しきものに乗っていらしたらしい瀕死の方の為にカトリックの司祭が呼ばれ、かのお方に「終油の秘蹟」(今の、「病者の塗油」と言う、重病人の回復と最後の罪の赦しを祈る秘蹟に当たる)を授け、そのことで、その司祭がスペルマン枢機卿から叱責を受けたんだったか、はたまた、その秘蹟を授けた司祭がスペルマン枢機卿だったか、ちょっと忘れたんですが、とにかく、Little Green Manがその秘蹟を受けたらしい、と言うのが話のあらすじ。

で、ちょっと哲学的?な議論になりまして、
「この世に宇宙人というものがいるとしたら、それは被造物に間違いないね」
「で、次に問題となるのは、宇宙人が、犬猫のような動物なのか、秘蹟が有効な人間なのか、と言うことで」
「それって、霊魂の有無で決まるかな」
「動物って、霊魂ないの?」
「霊魂の有無って、どうやってわかるのかな」
「木のお医者さんは、樹木の気持ちがわかる、って言うで」
「ほれ、サボテンかて…」
「うん、うん」
「機械の気持ちが判る人もおるで」
「人間ってさぁ、何でも、自分に似せて意味を読み込む癖があるから、何の気持ちも判っちゃうんじゃないの?」
「点がいくつか描いてあったら、目鼻口に見える、とか」
「人の顔みたいなもんが描いてあったら、その顔に人格を読み込んでしまう…」
「たまごっちとか、世話してしまう人もおるな」
「そういうデジタルキャラや二次元キャラには、霊魂はないよね」
「二次元キャラ?」
「ほれ、サザエさん、とか…」
「ないやろ」
「でも、日本人なら、皆、サザエさんの性格は知ってる;サザエさんなら、こんなこと言いそう、だとか、カツオくんならこんな失敗しそう、とか…」
「だから、単なるキャラクターはアニマとは違う」
「キャラクターはペルソナ(=人格)とは違うよね」
「ペルソナの有無が霊魂の有無なのでは?」
「…で、宇宙人にはペルソナがあるんかいな?」
「…さぁ…」
「…当人(?)が救われたいと思っているかどうか、が、終油の秘蹟、あるいは、臨終の洗礼が有効かどうかの分かれ目なのでは」
「宇宙人は、救われたい、と思うのかな?」
「耳元で囁いて聞くのかな」
「(一人芝居)『あ、ちょっとちょっと、死にかかっていて大変な時に、失礼いたします、あ、声は出さないで、瞬きだけでいいですよ、あなた、主の御名によって救われたいですか?』」
「…そんなん聞かれても、うちの父親かて、『救われたい』とは答えんわ、と言うより、質問の意味が判らんと思うわ」
「本人が救われたい、と思ってないとかなぁ。うちの父親も、前、家族で外出した時、情宣カーが『神と和解しなさい』ってガナリ立てて通りがかって、それに向かって『神さんと喧嘩した覚え、ないわ』ゆーてたで」
「うちの父親だって、もうあちこち故障だらけやけど、体が治って欲しいとも思ってないわ、ただ、飲む薬が欲しい、と思ってるだけで(ライナスの毛布やね)。『救われる』の意味が判らんと思うわ」(発言者順不同)
ってな感じで。

皆さんは、どう思われます?(「判る訳、ないやろ~っ!」って、突っ込まれそ…)

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January 12, 2006

リンボって…

※ この記事は、Seesaaブログ「法令第1条!」 での2006年1月7日付け記事 「【児童関連法】母体保護法・優生保護法・国民優生法 第1条」に付した追記に加筆の上、再掲するものです。

日本で公表されているカトリックの教義ではちょっと不明なんですが、洗礼を受けずに亡くなった乳幼児の霊魂は「辺獄(Limbo)」 (天国と地獄の間にあって、地獄の苦しみはないが、神を見ることもない場所)に行くものと伝統的に考えられて来ました。 この概念について近時、 「辺獄(Limbo)」概念の見直しを迫る要請が国際神学委員会から出されたようです。 (ロイター発2005年11月29日付け記事による;…ちょっと、浦島でしたかね…)

したがって、教会の教義がどうなるか、今後、見守っていかなくてはならない訳ですが、堕胎された胎児は当然のこと、 自己の意思表示など到底できない乳幼児を、 善悪の判断ができる年齢に達していながら受洗しないでいる子供たちと同列に論ずることはできないと思います。

そして、何も言わず黙って殺された胎児は、いわば「血の洗礼」をくぐり抜けた「殉教者」です。それゆえ、12月28日の 「幼子殉教者の祝日」には、Seesaaでのブログ「法令第1条!」において、法令上の堕胎にも触れておかなければ、 と言う思いに駆られたのでした。

ボスニア・ヘルツェゴビナのメジュゴリエ村に出現された聖母のメッセージ( 『メジュゴリエの証言者たち』ドンボスコ社刊、所収の脚注参照のこと)によると、堕胎された胎児の霊魂は、 天国のマリア様の許でお世話されている、とのことです。

子どもとして当然に享けるべき愛情を与えられるどころか、自分の持ちうる全て(それも、たったひとつの生命と、 十分な発育を全く遂げていない小さな、小さな、小さな体)を献げ尽くし、自分を殺した両親(そしてそれに手を貸した医療関係者等) の改心と和解の為に祈り続けている小さな小さな堕胎児が、何の良い報いも受けないなんてことはあり得ないことです。

で、当然、「幼子殉教者」としての胎児は天国に入り、(煉獄での浄めを経由するにせよ、あるいは、大変な改心と完徳の努力によって、 聖人として死後直接、天国に入るにせよ)遅れてやって来ることのできた両親と相まみえることになります。両親は、自分たちの殺した子どもの、 えも言われぬ美しさを目の当たりにすることになるでしょう。その時、殺された子どもたちが、 その両親と涙のうちに抱き合うことができますように。

また、聖書の黙示録21章に描かれている「万物一新」の際には、この子達は、この世では得られなかった肉体、 それも特上のものが与えられるはずです。その辺りの事情のヒントとなることが、ある本に書かれていたのですが、それはまた、【読みかけ日記】 等のコーナーでご紹介することにします…。

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January 09, 2006

やっと、お正月

いつまでたっても、ここ「霊妙なる器」のデザイン(時計や、ブログペットのお部屋の背景)がクリスマスのままだったので、 怪訝に思われた方もおられることでしょう(…え、更新サボり常習犯のラファエラ姉さんらしい現象だから、疑問にも思わなかったって?)。が、 やっと、「お正月らしい」デザインに切り替わりましたよね。

…いやいや、これにはちゃんと、訳があったんですよ~。カトリックでは、「主の洗礼」(*)を迎えるまでは「降誕節」と言って、 約半月ばかり、クリスマスをお祝いしているのです。世間がクリスマスムードに包まれる12月1日~23日は「待降節」と言って、 祈りのうちに「主の降誕」を迎える「準備」をする時期なんですよねー。

* 例年、「主の公現」の主日の次の日曜、つまり、「主の降誕」の次の次の日曜だが、あまり「主の公現」が遅くなると、…つまりぃ、 1月1日~7日の1週間のあいだに「主の公現」が入らなかったりすると、「主の洗礼」の祝日は「主の公現」の翌日になったりする。今年は、 このパターン。

整理すると、

主の降誕(=12/25)
聖家族(原則、「主の降誕」と元旦に挟まれた日曜だが、「主の降誕」の次の日曜が元旦以降になる場合は、12/30)
神の母聖マリア(=元旦)
主の公現(元旦の次の日曜)
主の洗礼(?)

となっていて、日付で決まる祝祭日と、曜日で決まる祝祭日とが入り混じっているので、ややこしいことになるのですねぇ…。

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January 06, 2006

ペトロ神父様のブログ

「カトリックテレフォンサービス」等で有名な 「祈りの園」のペトロ神父様(カプチン会)が、たくさんブログを書いておられます。とにかく、たくさんあるので、 その玄関口になりそうなものをひとつ、ご紹介します:コチラ→「ハッピー人生 幸せのヒント」

ペトロ神父様は、昨年は肺炎で入院されたり、心配なことが続きましたが、今年はお元気でご活躍されますように。 明日の初土のチェナクルムでは、久々にお会いできるでしょうか?

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January 05, 2006

聖エリザベス・アン・シートン

夜には、高校の同窓会の新年会が予定されていたにもかかわらず、昨日は昼過ぎから風邪がひどくなっていって、朝 「ちょっと喉が痛いかなぁ」と感じた時には、「…いや、気合で何とかなる」と思っていたのに、「こりゃ出歩くと寝込むわい」と思われたので、 新年会の方には欠席メールを出して家で休んでいたところ、夜、メールで、ここ1年あまり入院していた友人のお母さんの容態が急変した、 との知らせが…。

そして、今日、亡くなられたことを知らされた。
亡くなられたのは、昨日だったというので、カトリック手帳の聖人暦を見ると、「聖エリザベス・アン・ シートン」(←リンク先は、女子パウロ会のサイト「Laudate」)。
…そっかぁ…、なかなか凄い聖人。修道院の創設者なんだね。
友人のお母さんが、聖エリザベス・アン・シートンの導きによって、天国の御母(=マリア様)にまみえ、 来る御公現の祝宴に列することができますように。

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January 04, 2006

うー、風邪か…

ありゃ〜、正月早々風邪ひいてしまったみたいです。
喉が痛くて、全身が今、バイキンと闘っているようで、だる〜 
マズイ、熱も出てきそう…

普段の更新怠慢を取り戻さん、ってな勢いで、連日頑張っちゃったからかしら…
(-_-;)

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January 02, 2006

奇跡の十字架?

ネットサーフィンをしていて、こんな話をみつけました:

ニューヨークの同時多発テロの翌日、現場で犠牲者の捜索に当たっていた建設作業員が、 世界貿易センタービルの倒壊した瓦礫の中から巨大な十字架(写真上)を発見した、と言うものです。

写真と記事は、コチラ (政教分離の考え方から公的な記念に宗教色を持ち込むのに反対の立場の方のサイト)とコチラ (どこの宗派か不明ですが、教会関係者のサイト;下から5分の2あたり)にあります。

これが「十字架」なのかどうか、も議論があります。懐疑的な立場からは、「これは瓦礫の落下で偶然、このような形になったもの」 と言い、「神の御業だ」と言う立場からは、「この十字架を見上げると、不思議な安らぎと慰めを感じる;神が確かにここにおられる、 と言う印だ」と言うのです。これに対して、懐疑的な立場からは、「捜索作業で疲労困憊していたから、慰めが欲しいと思う心がそのように (ただの鉄骨をキリストの十字架に)見せるのだ」と主張しています。

私はこの「十字架」の写真を見て、まず、本で見てウロ覚えの(私自身は行ったことがない)      メジュゴリエ      (ボスニア・ヘルツェゴビナ)にあるクリュゼバツの丘の十字架      (写真下)やブルー・       クロスを思い出したのですが、よく見ると、あまり似てないですね~(NYのは鉄骨だし)。

多分、石の中に立つブルー・クロスの素朴なイメージと、クリュゼバツの十字架の大きさと礎石のコンクリート部分とが、 私の頭の中でミックスされて、そんな錯覚を起こしたのでしょう。

 

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December 30, 2005

【本日の福音】ルカ2:22-40

いやぁ、久しぶりですねぇ~~、「本日の福音」。もう、半ば、「本年の」福音、に化しつつありますが。(^_^;)
多分、これが(バックデートでの投稿を除き←と言うのも、まだ未提出の宿題をこれからでも間に合わせる希望を捨てていないから、ですが…)本年最後の「本日の福音」になるでしょう。

さて、本日は「聖家族」の祝日です。例年、主の御降誕の次の主日にあたる移動祝祭日ですが、今年は御降誕が主日にあたり、年内にもう日曜がないので、本日祝うことになっています。

で、「聖家族」のミサで読まれる朗読箇所でいつも耳が痛いのが、第一朗読の「シラ書 3:2-6、12-14」の

「子よ、年老いた父親の面倒を見よ。
 生きている間、彼を悲しませてはならない。
 たとえ彼(=父親)の物覚えが鈍くなっても、思いやりの心を持て。
 自分が活力にあふれているからといって、彼を軽蔑してはならない。」

と言う箇所なんですが、幸い(?)今日はB年。第一朗読は「創世記 15:1-6、21:1-3」です。

…ですが、このコーナーで取り上げるのは福音だけなので、今日取り上げるのは、「ルカによる福音 2:22-40」です。(←リンク先は、例によって、全米カトリック司教協議会USCCB-NABの英文テキストですが、本日の箇所だけにリンクを貼ると、しばらくたつと該当ページが削除されてしまうので、ルカ書第2章全体にリンクを貼りました)

今日の朗読箇所は、第一朗読の「創世記 15:1-6、21:1-3」が長い(…ってほどでもないですが)せいか、朗読に長短2パターン用意されています。短いパターンでは、中ほどの老シメオンと女預言者アンナのくだりが省略されます。しかし、省略が多くとも、ミサの中で正式に朗読される福音なので、「立って聴いてるのが辛いんだけど、短くて良かった;神父様のお説教も短いといいな」…と思うのではなくて(^_^;)、ちょっとここで味わってみたいと思います。

あんまり短いので、(新共同訳の翻訳者の著作権を尊重して、いつも引用しないのですが)もう全部、引用してしまいたくなりますね。が、それは堪えて、要約してみると、律法に規定された産後の清めの時期を終えた聖家族が、律法の掟にあるごとく「初めて生まれた男子」を主に献げる為にエルサレムに上り神殿を詣でた話と、ナザレに戻って後の少年イエスの素晴らしい成長について記されています。

新共同訳では「初めて生まれる男子」となっていますが、上のUSCCB-NABでは、

「Every male that opens the womb shall be consecrated to the Lord」
胎(タイ)を開いた(=初めて子宮から出て来た)男子は皆、に献げられなければならない

と、より旧約での律法と直結した表現になっています。初子(ういご)の聖別と言えば、エジプトでの過ぎ越し(出エジプト記12:1-30)、(鴨居と入り口の二本の柱に塗った)過ぎ越しの羊の血によって主のものとして聖別されたすべての家の初子が「撃たれ」ずに助かった出来事を思い出しますしが、これを記念して、神様は「初めに胎を開くものはすべて、わたしのものである。…あなたの初子のうち、男の子はすべて贖(あがな)わねばならない。」 (出エジプト記34:19-20)、と律法の一部となさいました。神への奉献は、言わば、贖い(=滅びる定めの人間が、金を積んでも買い戻せないその命を、神の御業によって救われること)の印です。そして、この贖われた男子、神の為に聖別された者として、救い主イエスは成長していくのです。

ところで、ここで、お生まれになった救い主の「芽を摘み取」ろうと、ヘロデ王はベツレヘム周辺の2歳以下の男の子を全員殺させましたが、同じ年頃の男の子であるイエスが、この時期(産後の清めの時期は40日間です)、エルサレムの神殿なんてウロウロしていて大丈夫なんだろうか?…、なんてちょっと疑問が生じました。
が、よく考えてみれば、ベツレヘム周辺だけでも2歳以下の男の子は数え切れないほどいたはずで、初子の奉献の為に、ユダヤ全土からエルサレムの神殿に参詣して来る家族は、もう星の数ほどもあったから、ちょうど、お正月の明治神宮の境内みたいな雑踏になって、とても男子殺害なんてやってらんなかったのかも知れませんね。
…だけど、東方の三博士の話をよく聞いていれば、メシアのお生まれになったのが何月何日で、その40日後は神殿にやってくるはずだから、その前後3日間、「公安警察」(?)を張り付かせておくこともできたかも知れなかったのになぁ…、とも思ったりして…。
…ま、でも、神殿なんて神聖な場所で(人の)血を流すなんてことは到底、無理でしょうけどね。

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December 25, 2005

メリークリスマス!

主の御降誕、おめでとうございます。

昨年は、24日の夜半のミサが四谷のイグナチオ教会(麹町教会)、25日の日中のミサが三軒茶屋教会でしたが、今年の夜半のミサは、ちょっぴり近くなったこともあって(終電の時間を駅すぱあとで調べておいてから)、自分の教会の22:00からのミサに出てみました。

終わるのが23:30近くなるのに、21:30からクリスマス・キャロルがあったためか、もう聖堂はいっぱいで、至聖所の裏の小さな仮の聖堂(初めて入った!;ここ、泣き部屋(*)なのかな?)に通され、そこでテレビ画面に映される主聖堂でのミサの中継を見ながら(…こんなの、東京カテドラルでの教皇様追悼ミサ以来!)、ミサに与りました。(こんなことなら、19:30からのミサに出ておけばよかった!)

やはり、クリスマスのミサは、信者さんでない方も大勢見えられるので、ミサの運営のスタッフでなくても、気合が入ります。
背筋を伸ばして姿勢をしゃんとし、答唱も滑舌よく、聖歌もはっきりくっきり音程を狂わさないよう調子を外さないよう、ラテン語聖歌なら尚更、信者の本領発揮、歌詞の綴りの読み違えなんてしたりしないように…。

何せ、ただでさえ、積極的に勧誘などしないカトリック教会で、未信者が洗礼を受ける気になるきっかけの最大のものが、クリスマスと結婚式だとも言われています(…逆に、ミッションスクール進学は、カトリックに幻滅させる要因のひとつとも、ミッションの中高出身の友人で、とうとう洗礼受けずに今日に至っている友人から聴いたことがあるような…)し、人生の岐路になるかも知れないミサで、たまたまそばに居合わせた信者である私の失敗(?)を見て、躓かないとも限らない…(^_^;)

実際、大きいとはお世辞にも言えない小教区であるうちの教会にも、今夜は、聖体拝領せずに祝福だけ受けられる未信者の方が大勢おいででした。

…ああ、どうか、私が、今日初めて教会にいらした方々の躓きの石となりませんように。
そして、受洗とまではいかなくとも、その心の内奥に、小さな小さなイエス様がお生まれになりますように…!

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December 23, 2005

デスクトップに写真立て

先日、12月14日の記事として 「ヨゼフ様と一緒」を投稿しましたが、ヨゼフ様と一緒にいる方法はいろいろあります。

「聖母の騎士修道女会 愛社」刊行の『わが父聖ヨゼフ』(*)には、「聖ヨゼフに尊敬と愛を示すいくつかの方法」として、 射祷が紹介されています。

また、働く時も、勉強する時も、休み時も、いつも聖ヨゼフの御像や御絵をそばに置くのも、 ひとつの方法でしょう。

で、ちょっと、デスクトップにヨゼフ様の写真立てをしつらえてみました。使用したのは「K-PhotoStand」 と言うシェアウェアです。
(後ろにあるのは、「レオナルド・ダヴィンチ」とか言う(^_^;)WindowsXPに標準で入っている壁紙です;ちょっと今朝、 壁紙を換えてみました)

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December 14, 2005

ヨゼフ様と一緒

いやあ、実は12月14日は、カルメル会の聖人「十字架の聖ヨハネ」の記念日なんですが、昨日、サンパウロのオンラインショップ(いやぁ、ネットでこんな買い物ができるなんて、ホント、便利になったものです)に注文していた「聖ヨゼフと少年キリスト」像が届きまして、今日のおミサの後、神父様にその祝別をしていただいたので、こんなタイトルになっとりますです。

聖ヨゼフ様は、聖家族を(幼児虐殺を命じたヘロデ王等からの)迫害から守り抜き、聖母を支え、少年イエスに愛を以って教育を施し、救い主としてのイエスの活躍も、ご受難とご復活の栄光をも見ることなく、謙遜の極みである沈黙のうちにこの地上での生涯を終えられたのですが、カトリック教会では、この聖ヨゼフ様を、力強い教会の保護者にして、家庭の保護者、勤労の保護者として、聖母マリア様に次いで、大切に崇敬しています。

私も、かねがね、頭では、ヨゼフ様を大事にしないとなぁ…、と思っていたのですが、最近、それがフッと合点の行くような腑に落ちる落ち方をしたと言うか、ちょっと日本語がへんてこりんですが、ま、ちょっとしたきっかけで崇敬の念を強くした訳です。

で、これからいつも、どこへ行くにも、ヨゼフ様と一緒!、なのです。

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December 09, 2005

金曜日は魚の日…!

私はカトリック信者でして、できるだけ日常生活においても信者らしく生活したいなぁ…、と思っているのですが、どうしてどうして、日本に住んでいるとなかなか文化的な障害が大きくて、摩擦力の大きい液体の中を水泳しているような気持ちがすることが往々にしてあります。

さて、教会の掟ではないんですが、教会の古い習慣として「金曜日には肉を食べない」と言うのがありまして、それは、金曜日がキリストが十字架に架けられた曜日だから、主の受難を黙想して、できるだけ節制と愛徳に励むべき曜日とされているからですが、掟ではないので、「…あれ? 今日、金曜日だったっけ?」と忘れている時もあるんですね。また、「節制と愛徳」に励むと言う趣旨からすると、「肉食」にこだわる必然性もあまりなく、コーヒー中毒の者がその日はコーヒーを我慢すると言う具合に犠牲を献げるのも良い訳です。

それでも、私は、金曜日にお肉を食べると言うのは、心情的にあまり気持ちがよろしくない。金曜日に肉を控える、と言うのは、今では高齢の信者さん位しか守っていないかも知れないのですが、そこはそこ、京都で熱心なおばあさん信者の方々に可愛がってもらった私は、守らないと悪いことをした気がしてしまうのです。

京都では、金曜夜のおミサ(18:30-19:00)に与った後、おばあ様方はよく、教会向かいの回転寿司に連れて行ってくれたものでした。いつもいつも回転寿司じゃ味気ない(?)のか、本物の寿司屋さんに行ったこともありますし、京阪三条に行く途にある「がんこ」なんて和風居酒屋みたいなところでビール戴きながら御寿司を食したこともあります(誰かの霊名のお祝いだったかなぁ…)。

そんな訳で、肉を断ったのに、その代わりに寿司じゃあ美味し過ぎる(おまけに、困ったことに、日本は魚が美味しい…)ので、困ったもんですが、やはり肉は食べたくないので(私は、ハーフ・ベジタリアンでして、普段、お肉は出されたら食べる程度で、特にお肉が大好きと言う訳ではないので;好きでもないものなら、尚更、節制になんかなりませんよね~)、その代わり簡単な魚料理をば:salmon その名も、「サーモンのポッシェ プロヴァンス風」! (何がどう、「ポッシェ」で、「プロヴァンス風」なのか、よく判りませんが…;…あ、それと、因みに、私の創作料理ではありません。私が京都で一人暮らしをしていた頃に愛読していた「シンプル・クッキング」とか何とか言う料理の本に載っていた複数のメニューを「合体」させたものです)

<作り方>
① サーモン(塩漬けでない鮭)は買って来たらすぐに軽く塩・胡椒しておく。特に、(サーモン本来の微量の塩分と後の調味料に含まれる塩分で十分すぎる位、味が付くので)塩が多過ぎないように注意。塩は親指に付いた分を払う程度でいい。[私はいつも塩に「藻塩」を使っています。胡椒は「S&B あらびきブラックペッパー」を使用。]
② 残り野菜等、うちにある野菜をうまく使って、千切りを大量に作る。[今回は、冷蔵庫にあったホワイトセロリの残りと「SEIYU ネギ入りサラダ」、タマネギを使用。]
③ 大きめなフライパンに野菜の千切りを敷く。
④ 千切りの上にサーモンを、皮を上にして、載せる。
⑤ その上から、フレンチドレッシング(白)、もしくはそれに類似のドレッシングを大きく「の」の字を書く感じでかける。[今回は、「キューピー テイスティドレッシング きざみオニオン」を使用]。
⑥ 更に、呑みかけのものでもあれば、白ワインを多少、ふりかける。
⑦ フライパンを大きな蓋で覆い、まず3分、蒸し焼きにする。[フライ返しでいじったり、フライパンを動かしたりしない]
⑧ 形を崩さないように、サーモンを裏返して、更に2分、静かに蒸し焼きにする。
⑨ サーモンに火が通って色が変わっていれば、できあがり。大きめの皿に、野菜部分を敷いて、その上に、崩れないようサーモンを載せて、テーブルに出す。皿の半分にライスを盛り付けても、グッド!

…どうです? 材料を刻んで(スーパーから刻み野菜を買ってくれば、それすらなしで)、蒸すだけの簡単料理。手間の割りに、すっごく美味しいですよ~。

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November 11, 2005

南国、土佐~

妹をアメリカに送り出し、私の高知行きの日もだんだん近づいてまいりました~

楽しみだなぁ~、高知!
黒潮に載って来るお魚は美味しそうだし、飛行機のマイレージも貯まるし。

何しろ、生まれて初めての四国。
まさか、従姉のいる徳島の阿波踊り見物(←大阪から簡単に海を渡って行けるらしい)や、讃岐うどんツアー(うどん屋をはしごするバスツアーがある)よりも先に、土佐へ行くことになるとは、思っても見ませんでしたが。

行ったことがないところなので、不安も期待もひとしお。
食事をするにはどんな場所があるのか、交通の便はいいのか…。

また、旅の楽しみの一つには、主日のミサや聖体訪問に訪れる、その土地の聖堂と言うのもあるのです。
宿の近くには、中島町教会と言う素敵な教会があるらしいんですが、どうも、旅程とミサ時間が合いそうにない…。多分、ここは、宿の近所を散歩してついでに(…と言うのは、一緒に行く友人は信者ではないから、ですが)聖堂を訪問するだけに終わりそうです。
赤岡教会と言うのも、移動先の途中にあるらしいのですが、移動の途中で単独行動は取れないと思うので、ミサは、多分、江ノ口教会の早朝のミサかな。宿からタクシーで5分です。早起きすれば、何とかなるでしょう。

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November 08, 2005

俳人の一夜

いやぁ、もうすっかり「BlogPet俳句集」漬けの一夜でした。

こ、こんなことになろうとは…。(詳細は、October 29, 2005の記事参照)

しかし、これで、トン吉もすっかり、世間様の前で発言するようになったことですし、多少、ましな言葉を覚えさせないといけませんねぇ…。あんまり、「青葉台、青葉台」言わないように。(…あ、しまった、逆効果!)

トン吉、動詞群:「哲学する」「思索する」「思惟する」「思科する」「配慮する」「苦慮する」「判断する」「祈念する」「観想する」「巡礼する」、結びの名詞群:「聖夜」「祈願」「聖霊」「慈愛」「聖三位」を使って、俳句を詠んでごらん?

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November 07, 2005

本田美奈子.、逝く

AVE MARIA by Minako HONDA今月6日午前4時38分、歌手の本田美奈子.(ほんだ・みなこ・どっと)さんが、 急性骨髄性白血病のため、帰天されました。

私自身は、2003年に、横浜市青葉区青葉台のTOKYU  SQUAREでの彼女のコンサートの入場券に、選に漏れたのを機に購入したアルバム 『AVE MARIA』(←写真上:収録タイトル一覧は、こちら)以前には特に関心が無かったのですが、元アイドルであり、ロックシンガーでもある異色の歌手・本田美奈子が「アヴェ・マリア」を歌っている、と言うので、俄然、注目していたのでした。実際、このアルバムは各方面から絶賛されたようです。

AMAGING GRACE by Minako HONDA.そして昨日の突然の訃報。闘病の事実は、どこかで読んで知っていましたが、 先月10月にはミニアルバム 『AMAGING GRACE』(←写真下)を発売、本人は希望を捨てず、真剣に復帰を目指し、 最期まで病魔と闘っておられた、と言うだけに、「逝ってしまったか…」と無念さが残ります。

さて、各方面での報道でも気になったのが、芸名の最後に付いている「.(ドット)」。asahi.comのニュース 38歳本田美奈子さん死去、白血病での末尾の略歴に、その改名の経緯が<04年11月に姓名判断で「字画を1つ増やせば、輝ける未来に」といわれ、名前の最後に「.」をつけて改名>と説明されていました。

それなら、改名から、本年1月12日に病気が発見されるまで、わずかに2ヶ月。死去までたったの1年。彼女は、ある意味、既に2003年には、音楽のジャンルを超えた、ひとつの頂点に到達していたのではないか、と考えているのですが、「輝ける未来」なんて、いったい、何のための姓名判断・改名だったんだろうなぁ…、って思います。

本田美奈子さんが、天国でも、その天賦の歌唱力で活躍されることを、お祈りしたいと思います。

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October 28, 2005

国家試験、受けて来ました…(BlogPet)

今日は、広いアメリカと風邪と、バテてしまいます
そんな中、2

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「トン吉」が書きました。

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October 21, 2005

風邪ひき、丸10日(BlogPet)

土曜日は風邪などをアビラすればよかった?
大きい風邪や広い大聖をテレサすればよかった?
と、ラファエラ姉さんが考えてるみたい♪

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「トン吉」が書きました。

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October 16, 2005

風邪ひき、丸10日

昨日15日土曜日は、大聖テレジア(アビラの聖テレサ)の祝日でしたが、まだまだ風邪です。こんな長引くのは、四旬節以来。熱で寝込んでいるうちに、3つの仕事がお流れになってしまいました〜(ヒュルリ〜)

こんな閑古鳥の鳴いているブログにトラックバックして来る人がいるので、「物好きな…」と思ったら、アダルトサイトへのスパムでした。即刻、アクセス制限かけてやりました。こういうのは@nifty当局は規制かけてくれないのかな?希望者があったら、スパム・トラックバックのIPアドレス一覧を公開したい位です。また、他の人の持っている情報も共有したいもんです。

あんまり変なこと書くと、「トン吉」が変な言葉を覚えてしまうのが困りもの。最近も、どこで覚えたのか、「くし(=proxy、代理接続サーバ)」なんて言い出しているし…。

明日、日曜日は、薬でも飲んで、這ってもイザッてでも、友達の英会話教室に行って来なくては…。大してコンサルティングしてないんだけど…。そして勿論、ミサにも、ね。

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October 14, 2005

風邪、引きましたぁ(BlogPet)

普段、なんやかんやと、あわ立たしくしているので
風邪や広い風邪とかやかんや
トン吉は、ネットで大きい風邪と大きい風邪を更新しなかった
広いくしをブログすればよかった?
ネットで風邪とかをブログしなかった
広いくしや、風邪とかを更新しないみたい…

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「トン吉」が書きました。

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October 07, 2005

風邪、引きましたぁ(BlogPet)

普段、なんやかんやと、あわ立たしくしとかやかんや
普段はトン吉が、トン吉は、くしをブログの更新、ブログの更新、しとこうかな
ネットで広いくしとかやかんや
普段、ラファエラ姉さんは、トン吉が、風邪とかをブログしなかった?
普段、なんやかんやと、あわ立たしくしているので、風邪とかをブログしたいかも
と、トン吉が思ってるの。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「トン吉」が書きました。

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October 06, 2005

風邪、引きましたぁ

普段、なんやかんやと、あわ立たしくしているので、風邪引いた時くらい、ブログの
更新、しとこうかな…。
(*_*)☆バキッ\(-_-;)

あ、そうそう、今、寝床からこの投稿を編集しているPHS、DDIpocket時代から、かれ
これもう5年は使っていて、そろそろ長期契約の旨味がなくなっているので、先月末
から「ウィルコム定額プラン」に変えてみました。
これで、少しは通信費も軽減するでしょうか。

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August 02, 2005

小熊物語の余韻としての『世界遺産 知床Ⅱ』

うーん、全編通して観たにもかかわらず、ときどき、好きなシーンなど早送り・巻き戻しして見ちゃいます。なんて(なんで)こんなにこの小熊ちゃんはかわいいんでしょうねぇ~、困ってしまうよ。
あの丸っこい、ホントにヌイグルミみたいな愛らしいシェイプゆえ? 小熊の、世界を知らないがゆえの無邪気さのせい? 物事を知らないために次のリアクションに転じる前に見せる「?」という一瞬の表情が、母性本能をくすぐるから? 人怖じもしない好奇心の旺盛さが人懐こさに見えるから? 20050521好奇心から時々、レッサーパンダの風太くん(写真右→)みたいに後ろ足立ちしますが、その姿もどこか人間の子みたいに見えるし。

日曜夜の『世界遺産 知床Ⅱ』を見るまでは、次のように考えていました。(ネタバレばっかり)
ジャン=ジャック・アノーが6年かけてこの『小熊物語』を撮ったとき、果たしてこの同じ一匹の小熊を追跡取材していたのかどうか知りませんが(冒頭と後半とで見比べてみると、小熊も成長して顔つきも変わっているし、同一の個体なのかどうか分からないけれど)、同一の個体なのだとすると、これは稀有な人生、いや熊の一生に違いない。
事故で母熊を失う熊は多く存在するかもしれないが、傷を舐めてやったことで赤の他人、いや他熊(親子ではないオスの熊)と固い絆を結んだこと、そのオス熊が、岩場での出来事で人間との対決を免れたこと(かつて自分の左肩を撃ったハンターを襲うのを止め、そのハンターが仲間の猟師の狙撃を阻止したこと)、それゆえに後半で再びひとりっきりになった小熊のピンチを救ったこと、お互い生き長らえることのできた熊同士、共に冬ごもりすることになったこと(実にアットホームなシーンですよね~、ここ…)、そういうことがたった一頭の小熊の身の上に起こるなんて、これは類いまれな熊ですよね。
そう、滅多にいない、奇跡的な危機脱出を果たして来たラッキーこの上ないこの小熊には、何か、後光が差しているに違いない!

しかし。『世界遺産 知床Ⅱ』です。かわいいです、日本のヒグマの子たちも。春が来て、冬眠の穴から初めて外界に出て、日差しがまぶしくて、お母さん熊に甘えて、兄弟たちとじゃれ合って、秋が来たら、よく脂の乗った秋鮭のご馳走をせっせせっせと頬張って…、別にこれと言って非凡なクマ生ではないかも知れないけど。「いのちの輝き」と言えばなんかキザですが、どの小熊くんも卓越してます!

神様、この小熊くんたちが私たちの目に愛らしく映るように、どうか、私たちひとりひとりが貴方の御目にも、この上なく愛らしく映りますように(信仰により、そうであると知ってはいますが)。

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July 28, 2005

温暖化ガス排出権仲介が本格化・三井物産が米社と合弁

↓このリンク先にニュース記事があります 温暖化ガス排出権仲介が本格化・三井物産が米社と合弁(日本経済新聞)

 ども、お久しぶりです。ここんとこ、いろいろ出歩くことが多くて、 その事後整理なんかしてるとあっと言う間に一週間終わってます(…なんて、私も終わってそう…)。 バックデートになりますが、 出歩いた記録なども投稿したいのですが、「Ubicast Blogger」を使ってバックデートで投稿すると、トップページが白紙になってしまう、と言う欠陥があるので、 アリバイ的にもこうして、ココログオフィシャルツールでの投稿をしておかないといけない訳で、こうして出て参りました。

さて、今日の新聞記事からです。いやぁ、何と言うか、合法的とは言え、環境問題も金次第、と言う感じで、サモシイ世の中ですねぇ…。 やれやれ。

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July 24, 2005

夏物ファンデ

…「ファンデ」と申しましても、下着のファンデーションのことではありませぬ。メーキャップの方でございます。

いやぁ、夜は伯母の米寿祝いのパーティだと言うので、かねてより目を着けていた夏用のファンデーションを試してみたい、と、教会の朝ミサの帰り、途中下車して買って来たんですよ、A社の奴を。

「@コスメ」と言う化粧品口コミサイトには(読むと面白いよ~)、「よれる」「ドロドロになった」「帰りまでもたない」とさんざんな感想も載っていましたが、私ぁ、こういうものは、絶賛も罵詈雑言もそれぞれ話半分にしか信用しないので、ま、化粧品カウンターで実際に塗ってもらって(顔の半分はそのパウダーファンデだけ、もう半分には専用の化粧下地と一緒に)、使い心地も試してから購入。こういうものは、プロのスタッフさんの手さばきと言いますか、力の入れ加減も見ておかないと、自己流は失敗の元ですからね。

結局、お店で塗ってもらったそのまんまの顔でパーティに出席。換装、いや、乾燥したな、と思ったら携帯用の霧吹きローションでシュッシュッと水分補給して、ちょこっと化粧直ししただけで、帰りまで綺麗でした。ホクホク。

…しかし。ケースの色が写真と違~う! 写真では綺麗で涼やかな緑色だったのに~! 何なの、この無味乾燥なアルミの携帯電話みたいな色は…!?

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July 06, 2005

【現代社会と霊性】1.神の創り給うたこの世界

人間の目の角膜に「前駆細胞」発見、修復治療に光 (2005年5月19日   読売新聞)

新しいコーナーを始めます。

2002年11月、長年(27年ほど)使っていたHOYAの酸素透過性ハードコンタクトレンズを、メニコンのメルスプランに変えました。会費制で、年に一度は新品のレンズに換えてもらえると言うのも、魅力的でした。

その時、コンタクトレンズを処方した眼科医から、ある衝撃的な宣告を受けました。「角膜の細胞がとても少なくなっている。週に3日はコンタクトを外して下さい。このままだと、将来、失明する恐れがあるし、年を取ってから白内障の手術をしようと思ってもできなくなる」と。

生命にはかかわらないものの、何だが取り返しの付かないことがこの身に進行していたことを知らされ、本当に目の前が真っ暗になったような気がしました。まぁ、ド近眼ではありますが、いつもどおりに、目は見えてはいても、モノの考え方が悲観的になりがちになりましたね。だって、いずれ目が見えなくなるかも知れないなんて…。コンタクトはこれまでも何度も作り変えてきましたが、こんなに大事なことを教えてもらったことはなかったのです。これも、ショックでした。もっと早く、せめて5年でも早く、警告されていたら…。長い寿命は望みませんが、視力のない人生はとても想像できません。

そうなると、けっこうナリの気になる方だった私も、これは一大事、と、コンタクトの代替として新しく作ったメガネばかりをかけて過ごすようになりました。メガネはフレームがある分、視野が狭くなるようで、また、絶えず、鼻の上でずれ動くので、しょっちゅう指で押し上げる、どことなく嫌味な癖が付いてしまいました。鼻に赤い跡ができるのも嫌ですね~。あまり度をきつくすると頭痛や目眩がすると言うので、わざと度を下げて、0.6程度しか、視力が出ないようにしたメガネです。焦点がまっすぐ視線の延長線上にやって来ないのも嫌だし、ズレるのが気になるものだから、何だかいつも、余計なところに注意力を奪われているような気がして、仕事でもケアレスミスが頻発するようになりました。その際、上司から「貴方のようなメガネをかけている人って、ミスが多いのよね」なんて言われることもありました。…おおお、何たる受難!

と、ある日、うちで購読している日経新聞を開くと、上のタイトルで紹介したのと同内容の記事が。その時、私の感じた気持ちが想像できるでしょうか? 実際にその技術が応用されて、私の角膜を再生してもらうのはそんなに近い日ではないかも知れないけれど、「諦めないでいい」と、希望の光が与えられたような心地がしました。これぞ、光明。これぞ、神様のご配慮くださった奇跡。

信仰の世界には、ルルドの泉での奇跡的な治癒だとか、いろいろな奇跡が起こっており、奇跡には、ルルドの水にしても、やれ、これは水の結晶がどうのこうの、超深層水と同じ構造になっているとか何とかかんとか、科学的に説明をつけようとする試みが付いて回るようです。

しかし、科学的に説明が付いたからと言って、それで奇跡で無くなる訳ではないんですね。たとえば、「処女懐胎」と言う神秘にしても、化学物質で未受精卵を発生させると言う具合に、「処女懐胎」と似たことを引き起こすことができると言うのをどこかで読んだことがありますが、科学の力で人間がこれまで不可能であったことを可能にしても、これまで人間には不可能であったのに「起きた」と言うその不思議さがなくなるものではない。

たとえ、私がルルドに巡礼に行って、ルルドの水で目を洗い、それで角膜が癒されたとして、それが医学的には何らかの化学的な作用が角膜の前駆細胞に働いたためだ、と説明されたとしても、そのようなお膳立てを、既に人間のDNAにその発祥の昔から仕込んでおいた神様はやっぱりスゴイ!と思えるのです。

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July 04, 2005

洗顔、せんがん、センガン…

2、3年前からスキンケアとしての洗顔に関心があって、実際、いろいろ試行錯誤してますが、最近は、いろんな美容知識と言うか、皮膚医学と言うか、進化してますね~、もう勉強させられることだらけです。
昨今のキーワードは「シーバム」「メラノサイト」「ナノテク」「ネットで泡立て」「コエンザイムQ10」「ムコ多糖類」「フラーレン」(! )…と言ったところでしょうか。40過ぎて医学部受験した時に(20年ぶり・懐かしの!)代ゼミの化学で勉強した「フラーレン」、「一体、何に使うのかなぁ…?」と思っていた「フラーレン」、2002年ワールドカップの時には横浜の町中にでっかい「フラーレン」のイルミネーションが飾られていた(!…いや、よく見るとサッカーボールか…)、あの「フラーレン」が、とうとう、顔に塗るものになってしまったとは…、何やら感無量なものがあります。なんでも、ものすごい抗酸化(活性酸素除去)作用があるんだとか。すっごいですねぇ…。見るからに隙間だらけの構造してますもんね、フラーレン。

フラーレンの話はさておき、洗顔です。
ここ2年ばかりは、洗顔の大切さを教えてくれた(ついでに「泡立てネット」なる文明の利器も教えてくれた)V社のソープを使っていたのですが、今年の冬にS社に浮気、「こんなに使い心地の良い石鹸があったんだぁ…!」と、ひと頃はS社の「N…ソープ」教信者になりそうな勢いだったのですね。トライアルセットも使って、さぁ、いよいよ本物の商品を購入して、リピートもしてあげよう…、と。
しかし、梅雨にも入り、ムシムシとこう毎日、Tゾーンの皮脂も気になる今日この頃、某新聞社の折り込み広告で見かけたP社のソープがあんまり美味しそう(S社のソープもそこそこ、美味しそうな色・艶だったのですが)、 …いや効きそうだったものですから、手を出してしまいました。けっこう、高かったので、今年はこれひと筋で頑張りますです。合う・合わないは人それぞれみたいですが、早寝早起きにも効き目がありそうだし。(←某コスメ情報サイトの口コミ読むと面白いことが書いてありますね)

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June 23, 2005

谷川緑道

日曜の朝ミサに出た帰り、二子玉川で途中下車しまして、ついでだからご近所の「瀬田教会」(※)まで歩いてみようと思い立ち、 道に迷いました。(^_^;)

歩きながら、自分でもはっきり「これは方向が違う」と気付いていたのですが、知らない住宅地を歩いているのに、どこか、 変に懐かしい面影があって(高島屋北西部の団地とか)、「もうひと区画歩いたら、方向を変えよう」と思いながらずんずん歩いてしまいました。

すると、可愛らしい散歩道が…。 「谷川緑道」(やがわりょくどう)と言う、Walking Alleeで、昔、「世田谷線の支線の市電が走っていた軌道跡」 (上のリンク先の説明では、かつての「農業用水路」が暗渠と化したものの跡だとのことですが… 、確かに看板で「支線跡」と読んだんだけどなぁ…)を遊歩道に整備したものだそうです。(写真は、道の中間付近にあった看板)
どうも、都会のあちこちに隠れるようにして、こんな感じのウォーキングコースが整備されているようです。

 

居心地がいいのか、道の真ん中に居座る猫くん。向こうに、隠れ家のようにして、 かわいい喫茶店が見えます。時期的にツツジ、アジサイの咲き乱れる場所や、座れるベンチの整備されている箇所もあり、 ずっといても良かったんですが…、何しろ、蚊が多い! 野外活動に関してまったく準備して来なかったのですから、 しょうがないですが。

この道は、ずっと、多摩川の方まで続いていましたが、私は、高島屋南方の、二子玉川駅方面に出る出口でリタイア。しかし、 思わぬ拾い物をした日曜午後でした。

※ なお、瀬田教会は翌週の日曜、環八と246の交差する「瀬田交差点」から攻撃しまして、みごと、到達いたしました。(…が、 聖堂の位置が分からなかった…。御聖体訪問したかったのですが…)

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March 27, 2005

御復活、おめでとうございまーす

いやぁ、御復活ですねぇ〜。おめでとうございます。

まだ風邪が治り切ってなくて、おまけに花粉症がますますひどくて、いまだにパソコンの電源を入れていないんです。
ちょっとこれは、94年観測開始以来の、「自分のパソコンをいじらなかった日数」の記録になるかも知れません。

さて、御復活です。
ハリストス教会=ギリシャ正教では、まだのようですが、西方教会=カトリックとプロテスタントでは、今日(春分の日の直後の日曜日)が、御復活です。

この双方の食い違いは、(西欧世界がグレゴリオ暦を採用して以来の)暦の違いに基づくものだそうです。

バッスーラ・ライデンと言う昨今の預言者の本("True Life in God"『神のうちの真のいのち』)によると、主は御自分の神秘体である教会が一致し、同一の日付で復活を祝うことを望んでおられる、と言うことだそうですが、では、どちらの日付が正しいのかは、その本では教えてくれません(多分)。

ちなみに、この預言書(私的啓示)は、教会の正式に認めたものではありません。
(ただ、東西両教会の一致のために、両教会当局・高位聖職者らと精力的に対話を続け、祈りの集いを行っているようです)

そう言えば、「異なる日付」で思い出されるのが聖母の誕生日です。

現在、カトリック教会では、9月8日にお祝いしていますが、ボスニア・ヘルツェゴビナのメジュゴリエ村に御出現されたマリア様は、村の子供達に、本当の誕生日は8月6日(5日だったかな?)である、と告げたそうなのです。
これも、暦ゆえの食い違いなのかしらん?

こちらの御出現も、教会未公認ですが、御出現そのものが現在もまだ続いているため、真贋の鑑定をするにも、まだ調査ができないでいるようです。
私的な巡礼は認められており、パパ様(教皇ヨハネ・パウロ二世)の祝福についても、どこかの本で読んだことがあります。

もう一つ、誕生日と言えばクリスマスですが、こちらが主イエズス(日本のカトリック教会でも公式には「イエス」ですが、伝統的に「イエズス」と言う表記や呼称に慣れ親しんでいるのは、ラテン語からの音訳だからです)・キリストの本当の誕生日「ではない」ことは広く知られています。
が、本当の誕生日がいつなのか、については、「羊飼いらが野外で夜通し羊の番ができる季節だろう」ぐらいの話しか、聞いたことがありませんでした。
それが、最近、スカパーのディスカバリー・チャンネルの番組の中で、聖書に現れる東方の三博士についての記述の、占星術的な解読と天文学による天体の位置の割り出しとで、正確な日付を計算していたのです。
それによると、本当のクリスマスは、紀元前6年の4月17日だそうです。
となると、その半年前とされている洗礼者ヨハネの誕生日も、10月17日となり、全く夏至なんかじゃなくなりますし、「聖ヨハネ祭の夜」なんてロマンティックな響きもなくなるだろうし、抗鬱作用があると信じられているサプリメントの「セントジョーンズワート」(夏至の頃に花が咲くから、らしい)も名前を変えなくちゃいけなくなりますね。

さてさて、マリア様の本当の誕生日については、聖書の中にもヒントがなさそうなので、天文学的に計算してみせる、と言う訳にもいかないようです。

御復活のお祝いだけで、すぐ終ろうと思ったのが、長くなりました。
ま、何はともあれ、おめでとうございます!

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March 25, 2005

あーあ、聖週間・・・

明日は、聖金曜日、「主の御受難」だと言うのに、風邪が治りません。

今日も、なんとか、「主の晩餐」の典礼に参加して来ましたが、電車に乗っていても、クシャミと鼻水が止まらない…。

もちろん、花粉症もあるかな…。
花粉症とはかれこれ20年以上の付き合い、昨今、症状が軽くなっていたので、テニスで鍛えた成果…、と思っていたのですが、昨年は、5月に帯状疱疹(タイジョウホウシン)なんて、子供の頃かかった水疱瘡の逆襲を受けちゃって、ただ単に、免疫系がダウンしてただけだったのだったりして…。

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March 03, 2005

春はまだかぁ〜

ども、またすっかりご無沙汰してしまってます、三月だと言うのに、寒いですねー。
もう風邪ひいてしまいました、先週の雪の金曜日から。
(別に、カトリック暦に、こう言う名前の行事がある訳ではありません、「灰の水曜日」みたいな…)(-_-;)

そろそろ、復活することにしますか…。
(写真は、見るからに寒そうな多摩川。今夜も東京・横浜は雪で、5センチほど積もるとの予報です、グスッ)
tamariver_in_march

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February 21, 2005

箱舟の記念日ですか…

アシュレ|AY YOLU 日記
※注:現在、この方のブログは、内容完全刷新の上、再開されており、私がトラックバックした記事は公開されておりません。

初めて、@niftyココログ以外のブログへトラックバックしてみます(祝!)

ここ数週間鑑賞したDVDの中に『天地創造 -in the Beginning...-』と言うのがあるんですが、その中でもいちばん好きなシーンがノアの箱舟のシーンでした。ノアの箱舟の遺物が、トルコ領内のアララト山(…でしたっけ?)の山頂に遺されている、と言う話をどこかで読んだことがあるんですが、それ以外にも、実はトルコと聖書中の出来事とは、深い関係があるんですね。

例えば、キリストの磔刑~復活以降、聖母と弟子たちはエルサレムの、最後の晩餐に使われた「高間」(Ceanaculum、ラテン語で「チェナクルム」ともイタリア語で「セナーコロ」とも音訳される)に集まり、一心となって祈っていて五旬祭(Pentecoste)の日曜に聖霊降臨を迎え、これが教会の始まりとされているのですが、その後、使徒ヨハネに引き取られた聖母マリアは共に、「小アジア」トルコのエフェソスに赴き、そこで後半生を過ごされたと言われています。

そのエフェソスでの聖母の暮らしの様子などを、近代の何人かの示現者(ヴィジョニスト)ら、例えば、ドイツのカテリナ・エンメリッヒ(エンメリックとの表記もあり)や、イタリアのマリア・ヴァルトルタ(ワルトルタとの表記もあり)が遺しており、特に、国際的な調査隊が組織され、一生ドイツを出ることのなかったエンメリッヒの示したヴィジョン通りに、エフェソスに「聖母の家」とされるレンガ造りの慎ましやかな家が発掘された(Web上では、例えば、こことかここで見ることができます)ことは、感動的なことでした。

ところで、私事ですが、先月だったか、カリフォルニア在住のうちの妹が「ケーブルテレビのドイツ語のチャンネルに、変な言葉の番組が映る」と言って来たことがきっかけになって、私と妹の間で、「トルコ語・プチブーム」が起こったことがありました。妹は、生の素材を使っての本物の語学修得に関心があるので、テレビを見ながら本物の表現を学べるのならそれに勝ることはない、と思ったのでしょう。(その後、勉強がどうなったか、聞いてませんが)

妹は、料理も好きなので、早速、このトルコ料理「アシュレ」の料理法のことも知らせてあげようっと。

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February 12, 2005

御受難後を描いた映画…?

…御受難後・使徒行録の時代を描いた映画と言えば、ネロ帝治世下の迫害を描いた「クォ・ ヴァディス」ですが、アメリカ映画(1951年)、ポーランドとの合作映画(2001年)と2つあるうち、新しくて超大作の (連続ドラマとして製作されたらしい)、後者の『 クォ・ヴァディス』(このサイトの予告編はうまく繋がらないみたいです。 リンク切れかな?)方を探していたのですが、昨日の amazonでは品切れだったので(今見たら、3~4日で発送、とあります)、他を当たることに…。

結局、送料無料やYahoo!ポイントサービス等の点を考慮して、「yamagiwa soft」が二番目にお徳に見えたのと、更に、カリギュラ帝治世下の迫害を描いた『 聖衣』 が予約して4月8日の発売まで待てばamazonよりも安いと言うことだったので、ここで買うことにしました。

この続編として『 ディミトリアスと闘士』 というのがあるらしいのですが、『 聖衣』 で殉教した貴族マーセラスの持っていたキリストの聖衣が奴隷である剣闘士ディミトリアスの手に渡ったことで、 追跡の手がディミトリアスに及び…、と言う迫害の「チェーンレター」あるいはホラー小説「リング」的設定がなんとも可笑しいし、 カスタマーレビューでもあまり良く書かれていなかったので、今回はパスしちゃいました。

が、上の2つの注文ついでに、『 キング・オブ・ キングス』も注文しちゃいました…。(^_^;)[…って、御受難後、じゃないじゃん]

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四旬節キリスト教映画漬け~

四旬節とあって、ここのところ、キリスト教関連、聖書関連の映画を集中的に見ています。

今週見たのは、

① 『 天地創造』と、
② 『 十戒 スペシャル・コレクターズ・ エディション』、
それに、
③ 『 パッション』 です。

ホントは、『 天地創造』『 十戒』 を見た後に、しばらく、旧約時代のエピソードを映画にしたものをみたかったのですが、見つかった作品( 『 サムソンとデリラ』『 ソロモンとシバの女王』等がありました) の質に満足できそうになかったので、いきなり新約時代に飛ぶことになりました。

今後の予定としては、あまり、キリストの受難でも同じ『 パッション』 ばかり繰り返し繰り返し短期間に親に見せることになると辟易されても嫌なので、これはまた忘れた頃に見ることにして、

④ 『 ナザレのイエス』:オリビア・ハッセーが聖母として出演の、 6時間11分にも及ぶ超大作(amazonには無いみたいです;「Yahoo!ショッピング」で扱っている「DVD/GAME S-PREMIUM」と言う店舗が¥6,069と安いみたいですが、取り寄せになります。急ぐ方は、可能ならば、 四谷のサンパウロ書店かイグナチオ教会売店、銀座の教文館書店に走るといいでしょう。おまけに『Who is  Jesus』 と言う別のビデオが付いていたりします)、
⑤ 『 偉大な生涯の物語〈特別編〉』: キリスト役にマックス・フォン・シドー、洗礼者ヨハネ役にチャールトン・ヘストン(…『 十戒』 でモーゼ役だったのに…;ま、『 十戒』 でのエジプト王ラメセス二世は、『 ソロモンとシバの女王』ではソロモン王ですが…)
を見ることにしようかな。

…そして、復活節のあたりになったら、もう少し時代の下ったものを見たいと思ってるんですが…。

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February 11, 2005

世界病者の日

今日は、2月11日
1858年にフランスの田舎町ルルドの近郊のマッサビエールの洞窟で、聖母が「無原罪のマリア」として羊飼いの少女・ベルナデッタに現れ、人々の救いの為にロザリオを唱えるべきこと、そして、そこから湧き出た泉の水によって病者が癒されることを示された日で、カトリック教会ではそのことを記念して、「世界病者の日」としてお祝いします。
この聖母出現は、教会当局によって正当なものと承認され、ルルドは世界的な巡礼地となっています。

ちなみに、おとといの2月9日は「今年の」「灰の水曜日」でした。「灰の水曜日」とは、春の御復活祭に向けて祈りと犠牲(断食など)で準備をするべき40日間(日曜日は除くので、御復活の46日前)を「四旬節」(英語ではLent、フランス語ではcare^me)と言い、その最初の水曜日は、頭から灰をかぶって、己の罪を悔い改める日、とされています(実際には、おでこにちょこっと棕櫚Palmの枝を燃やして作った灰を塗ってもらうだけですが;この灰は、前年の御復活祭の一週間前の日曜日「枝の主日」のミサの開始時に、「キリストのエルサレム入城」を市民らが棕櫚の枝を振ったり通り道に敷いたりして歓迎したと言う故事を再現するのに使った枝を再利用します)。御復活祭は、「春分の後の新月の直後の日曜日」とされている為、毎年日付の動く「移動祝祭日」の代表です。その為、「灰の水曜日」も毎年、日付が変わります。

なお、(南米を含む)ヨーロッパの文化圏では、断食(特に、肉食を断つこと)の勧められる「四旬節」の始まる前に、大ご馳走のパーティや乱痴気騒ぎを楽しんでおこうと「カーニバル」(謝肉祭)の風習の残る地域がありますし、フランスでは特に、「灰の水曜日」の前日を「Mardi Gras」(マルディ・グラ、肥え太った火曜日)と読んで、ご馳走を食べる日として楽しむ習慣がありますが、これらは、勿論、まったくカトリック教会の行事ではありません。

ところで、ハリウッド俳優イーサン・ホークが"Ash Wednesday"(灰の水曜日)と言う小説を書いているらしいのですが、私はまだ未確認です。(^_^;)

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February 09, 2005

新しいブログ:【試訳】ピオ神父のカテキズム、始めました~

2月から「ココログ・プラス」に契約変更し、アフィリエイトが可能になっただけでなく、複数のブログを編集・公開できるようになりました。
そこで、暫定的に「資料置き場」的位置づけですが、イタリア語信心書の勉強サイトを作ってみました。当面は、邦訳のない『ピオ神父のカテキズム』を取り上げます。イタリア語原著で367頁ほどあり、おそらく遅々として進まないとは思いますが、少しずつ訳してみます。
なお、最初のご挨拶だけ、以下に引用しておきます。続きは、
http://raphaella.cocolog-nifty.com/pio/
でどうそ。


イタリアの生んだ20世紀最大の聖人と言えば、(聖痕の)聖ピオ神父(パードレ・ピオ)でしょう。

ピオ神父については、イタリアでは、既に生前からいろいろな本や記事が出されていましたが、日本では、2002年の列聖までは、ほんの数冊の伝記があるだけで、主に、聖痕やバイロケーション(二ヶ所同時存在)、スミレの芳香と言った不可思議な現象や、過酷な迫害を紹介する内容のものでした。
列聖後になってようやく、ピオ神父自身が生前、霊的指導者として何を語ってきたか、に焦点の当てられた「信心書」がポツリポツリとカトリック系書店に並ぶようになりましたが、ここに取り上げる『ピオ神父のカテキズム』は、イタリアにおいて精力的にピオ神父を紹介しているRenzo ALLEGRI氏が、ピオ神父の膨大な書簡集の中からカトリックの教えや、完徳に資する助言などの部分を抜粋、分類したもので、言わば、ピオ神父自身の指導による霊的読書や黙想ができる、願ってもない好著です。

さて、頃も四旬節(今年は2月9日が「灰の水曜日」です)、果たして3月27日の御復活祭までに読み終わるかどうかわかりませんが(なにぶん、イタリア語は私にとって第4外国語でして、得意とはとても言えない言葉なのです)、この犠牲と祈りの季節に、第13章の「苦しみとは何ですか? 豊かさとなる不正」から挑戦してみたい、と思います。


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February 01, 2005

♪バイバイ、倍速ぅ~♪

なんか、某医薬品メーカーのCMみたいですが…(^_^;)

昨今、能力開発が大流行り。その中でも、速読だとか、速聴(…あの~、なかなか漢字変換されないんですけどぉ…)だとかは、客単価が高いのか、よほどニーズが高いのか、その広告を何らかの媒体で見ない日はない、って位です。しかし、4倍速だとかの奴は、どうもコンテンツがニューエイジっぽくて気に入らない。成功、成功って、そもそも、まず何のために、成功しないといけないんですか~?ってひっかかちゃうんです。…ま、自己実現の目的は人それぞれ、ですけどね。

そんなブームに乗らずとも、時間がない割には、英語やらフランス語やら放送大学やら、あれこれ、聴かなきゃいけないテープの溜まりまくっている私は(そもそも必要性に迫られないから、テープが溜まっていくのかもしれませんが…)、普段から2倍速でテープ早送りしながら聴いてました。お気に入りのaiwa TP-S90(*)で。

* もう発売されてないみたいで、後継機としては、 TP-SS1って感じですかね。SONYの TCS-100って奴も機能的に似てるみたいだけど(しかし、全然高い!)。 …ところで、aiwaって、SONYに買収されちゃったんですね~、ショック~

ところで、最近、Windows Media PlayerとRip!AudiCOと言うシェアウェアで、 CDからのmp3化がとっても楽にできるようになったので、NHKテキストの別売CDを一旦HDDに落としてmp3化し、それをIO-DATAのExrouge (アイ・オー・データの公式サイトでは見当たらなかったんですが、もう販売終了ですかぁ~?;だいぶ前に買ったからなぁ…。今はHDD内蔵タイプが大流行りだし…。でも、とってもちっこくて気に入ってます。データ量もMMCやSDメモリーカードの容量次第だし)に入れて持ち歩いてます。普段はこれでいいんです。携帯メールのチェックもできないほど窮屈な通勤電車の中で、小一時間ほど聴いてる分には。自宅では、もう、何枚もあるCDをとっかえひっかえドライブに挿入するのが面倒で、み~んな、外付けHDDの語学教材用フォルダに落としてしまい、メールチェックしながら、ネットサーフィンしながら、ブログ書きながら、ファイル全選択でリピート再生~♪と言う、楽チンな毎日(☆)。

ところが、先月はフランス語検定の2次試験がありました。9~10年だか前に1次試験には受かっていたのに、事情があって(…あ、寒波でマンションの排水管が凍結破裂して、急遽、不動産屋さん巡りが始まったんだっけ…)2次が受けられずにいたので、去年の秋になんだか時間ができたから、けじめとして2級くらいはちゃんと取っておこうかな…、と昨秋受けたのが、裏目に出て、なんだか忙しい時期に2次を受ける羽目に…。

随分久しくフランス語から離れていてスッカリ錆付いちゃっているので、何とか泥縄でリハビリしたい。理想としては、試験対策の直前期だけでも、ネィティブ講師のいる学校でマンツーマン…、ですが、そんな夢のような余裕のあるはずもなく、録り溜めた音声教材を独習するしかない。2級なので、高度なことを喋る必要はなく、基本的な受け応えさえできればいい。まず、耳だ、耳を慣らそう。肝心の質問を聴き間違えたり、聞き落としでもしたらパニックだ…。

そうだ、倍速で聴こう。速い速度で聴き慣れていたら、普通の速度になった時、「ハイウェイ効果」と言うのが起きるらしい。…しかし、倍速で聴けるのはカセットテープしかない。上記、☆のような暮らしをしていては、カセットテープでの倍速再生なんてローテクにいきなり戻るのは億劫…。だいたい、私の保有している大抵の語学コンテンツは皆、 wmaファイルかmp3ファイルになっちゃってんだから~!

そこに現れたソリューションが、「MeRu Media Player」。あっという間にCD6枚分のフランス語を何度も何度も繰り返して倍速再生してくれ、試験もあっという間に終わりました。 (結果は2月14日だって)

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January 18, 2005

DVD『親分はイエス様』観ました

Mac miniなんかはどうでもよくて、昨日1月17日は、阪神大震災10周年でした。うちの父の80歳の誕生日でもありました。 父の誕生日と阪神大震災の日とが同じ日なんて、毎年いつも、複雑な気持ちです。

あの時、私は京都の下宿にいて、朝5時半に目が覚め、午後から神戸の大学院の演習で発表する予定だったレジュメに最後の手直し( 「泥縄」とも言います)をするべく、パソコン(当時は、Compaq Presario 433)に電源を入れた、その直後でした。 マッチ箱を狭い面を底面にして横に置いたような、細長いうなぎの寝床のようなマンションもかなり派手に揺れました。 なんだか泥縄の作業も嫌になっていた頃で、「こりゃ京都大震災だ、震度はどれ位だったんだろう?」とテレビを点けたら、 神戸が燃えていたのでした。「…どうやって、学校まで行こう…」。もう、学校どころの騒ぎじゃなかったですけどね。電車止まってたし、 いつも下車していたJR六甲道の駅はものの見事に潰れちゃってたし…。

それから阪神電車が青木まで復旧するまで、私の体は不思議と動き出しませんでした。震災の起こる10年位前には、 大阪の身体障害者の介護とか、釜ヶ崎の労働者の為の支援だとか、今で言うところの「学生ボランティア」に精を出していた私ですが、 目の前で京大生たちがボランティアに動き出していても、自分の在籍校が被災していると言うのに、 まるで何かに麻痺したように活動に参加することができないでいました。京都を捨てて神戸の大学院に進んだこと自体、自分には大バクチで、 神戸まで通学するのにかなりのテンションを必要としていたというのもあるのでしょう。震災で、まるで凧糸でも切れたみたいになってしまって、 腑抜けた日々を送っていました。

さらに、翌年の1996年1月20日頃、京都を10年に一度あるかないかの猛烈な寒波が襲いました。水道管も凍るほどでした。 うちのマンションも排水管が破裂してしまい、急遽、引越しを余儀なくされました。 引越しの荷造りで壁に並べた大きなスライド本棚を除けて見ると、コンクリートの壁に大きな亀裂が走っているのが壁紙の上から見えました。

それだから、震災は、テレビで聞かれるように「忘れる」だとか「忘れない」だとかの対象ではなく、 何かもっと私の奥深いところに突き刺さった「棘」のような出来事なのです。

しかし、そうは言っても、1月17日は父の誕生日。しかも、80と言う大台です。本人は嬉しくないかもしれませんが、 何かささやかなお祝いをしてあげたい、とかねて買っておいたDVD『親分はイエス様』 を鑑賞することにしました。「アーメンソーメン」嫌いな父ですが、配役は渡瀬恒彦あり、ガッツ石松あり、中村嘉葎雄ありの、 父の好きな俳優での豪華キャストです。これが何かの「やり直し」・生き直しのきっかけになったらいいな…、と思います。

(別に、これが連載【本日の福音】をサボってる理由じゃ、ないですよ)

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January 15, 2005

【本日の福音】マタイ1:29-2:17(水-土の4日分)

…いよいよ、【本日の福音】が「今週の福音」に近づいて参りました。あ~あ…(-_-;)

英文テクストはこちら↓
New American Bible版テクスト マタイ1:29-1:45
New American Bible版テクスト マタイ2:1-17
(全米カトリック司教協議会による)

今日取り扱うのは、多くの病人を癒し、徴税人のレビを弟子にする箇所です。

イエス様はどうして、こんなに多くの病人を癒したのでしょうか? 「神の愛」を体現するだけに、病気で困っている人を見るに見かねて、激しい同情心に駆り立てられたからでしょうか?

そういう理由もないこともなかったでしょうが(…二重否定?)、当時、多くの敬虔なユダヤ人は、病気、特に「重い皮膚病」は、罪ゆえに神から来る罰だと考えられており、律法にも共同体に戻る為には「浄め」が必要、と定められ、「罪深い自分」は神に近寄れない=神殿で神を礼拝することなどできるような、神に相応しい存在ではない、と自己否定に走り、神から遠ざかってしまっていました。

しかし、それは神についての誤った認識です。神様は、慈しみ深い方です。それは、旧約だから「厳しい」、新約だから「愛の神様だ」、とか言う時代区分についての誤った常識には関係なく、太古の昔の最初から、実は、「赦し」の神だったのです。人間が犯した罪を素直に認め、童心の様に神様に立ち返ろうと正しい決心を起こされるなら、先回りして抱き締める用意をして待っておられる方なのです。神様は、永遠に、昔も今も、その性質を変えたりなどなさいません。ただ、人間の方の間違った思い込みが、「神様は厳しい方」と言う、誤った神様像を作り上げていただけです。

その為、イエス様は、人々の抱く神様への認識を正しいものに訂正してあげる必要がありました。そして、誰でも、素直に神に立ち返りたい人は皆、神様との仲直りができるよう、神様へ向かう「道をまっすぐに平らに」してくださったのです。勿論、その準備は洗礼者ヨハネも行いましたが、洗礼者ヨハネは、「罪の赦し」そのものの権限は持っていませんでした。イエス様は、 人間の罪を取り除く権能をお持ちの神様そのものですので、 (普通の敬虔なユダヤ人なら、「近寄るのも汚らわしい」と感じる)病人に対してであっても、罪深い職業とされていた売春婦やレビのような徴税人であっても、彼らに向かって真っ直ぐに歩いて行かれます。

なぜなら、神は、病人を病気ゆえに、人を職業ゆえに「罪びと」だ、なんてお考えではないからです。罪は、人の心より生じるものです。「神様に赦されて、再び神の民に加えられたい」と言う望みを持っていたとしても、人間の限られた理性故に陥っている誤った自己否定と周囲からの偏見、そんなつまらない理由で、欠けがえの無い神さまとの愛の交わり・愛し愛されの相思相愛状態(=「至福直観」 とも言いますが)を放棄し小さく孤独に震えているなんて、そんな哀れな人間の姿は見るに見かねるのです。神との交わりの障害になっているのが、ただ、病気だったり、職業に対する偏見だったりするなら、その障害さえ取り除いてあげれば、御許に戻って来る。自分の枠に囚われている人間にはできないのなら、神の方から歩み寄ろう。神様の愛とは、そういうものです。

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January 11, 2005

【本日の福音】マルコ1:14-28より(2日分)

ここのところ、クリスチャンでない父にキリスト教関係のDVD(とりあえずは『ミッション』『親分はイエス様』 )を見せようと画策していて、この連休の日曜の夜には『天地創造』(原題: "The Bible ...in the beginning")を一緒に見ました。ノアの箱舟のシーンは圧巻でした。この次は『十戒』を見るぞ~(未入手)。2月9日(灰の水曜日Ash Wednesday)から始まる四旬節(Lent、カトリックの復活祭の準備期間で、言わば「祈りと断食」のシーズンです)に『パッション』を見せたいんですねぇ。

そんなこんなで、すっかり投稿のタイミングがずれ込んでしまい、今日は2日分です。(^_^;)

英文テクストはこちら↓
New American Bible版テクスト(全米カトリック司教協議会による)

さて、今日のところは、イエス様の公生活の始まり、最初の4人の弟子の召し出し、悪霊の追い出しの場面です。
マルコによる福音書では最初の弟子の召し出しはサラリと書かれているだけで、なんだかこの4人は考えなしに知らない人に付いて行っちゃったみたいですが、ルカによる福音書5:1-11では、不思議な漁とシモン・ペトロの召し出しが詳しく伝えられています。また、ヨハネによる福音書1:35-42では、まず洗礼者ヨハネの弟子だったアンデレが「見よ、神の小羊だ」 と教えられてイエス様に付いて行き、次いで自分の兄弟シモン・ペトロに紹介するくだりが述べられています。 (以上、1/10分)

続く悪霊(「汚れた霊」 )を追い出す場面では、「汚れた霊」が「ナザレのイエス、 (引用中略)正体は分かっている。神の聖者だ」 と叫ぶのが印象的です。私は、霊の世界のことには疎いので(^_^;)、「名指し」のもつ意味とか、この辺の事情に不案内で、なんだか敵がイエス様のことを褒めてくれたみたいな、変な感じがしますです。
この「汚れた霊」は、故人である幽霊(←カトリックでは地獄に堕ちたのでない「煉獄にいる霊魂」は、既に救われていずれ天国に入る浄い霊です)でも、悪魔(サタン、神様に叛旗を翻した堕天使)でもなく、もっと低級な霊的存在のようです。と言うのは、続いてこの出来事を見て驚いた人々が「権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く」と論じ合っているからです。
この発言にも、現代を生きる私たちと、昔の人たちとの言語感覚(?)の違いを意識させられてしまいます。つまり「権威」 (authority)と言う概念です。被造物はすべて神のご命令に逆らえません。神から出る意志命令系統の正統性を表わすものが本来の意味での「権威」です。 (絶対王政の王権神授説は、国王が神の教えに従っている限りは、正統なものでした)
翻って、私たちが考える「権威」とは何でしょう?「権威主義(的)」などと言うとまるで、自分がなく、長いものに巻かれようとする役人根性のようです。しかし、「正しい権威」に従うのは、自由意志の最高の発露です。なんか、カントめいて聞こえますが、話は逆で、カントの倫理性は、キリスト教的な「自由」概念から出発しているのです。 (カント哲学の宣伝をしているのではありません)

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January 09, 2005

【本日の福音】マタイ3:13-17より

英文テクストはこちら↓
New American Bible版テクスト(全米カトリック司教協議会による)

今日(=主日)は、イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼を受けられる場面でした。
「洗礼」とテクストにはありますが、教会ができてからの秘跡としての「洗礼」 とは、ちょっと意味合いが違います。教会の秘跡としての「洗礼」は、教会のメンバーに加えられるに当たって、アダム以来の原罪と、その人自身がその日までに犯してきた罪である自罪の両方を、神である主イエス・キリストの権限において、秘跡の執行者を代理人として、まったく浄めてしまう儀式です。「罪の赦し」は神にしかおできにならないので、目には見えませんが、それを「洗礼」という目に見える行為で表現するのが、教会の秘跡としての「洗礼」です。
さて、当時、ユダヤ人の間で宗教的な「禊ぎ(みそぎ)」の儀式として水に身を浸すことがあったようですが、洗礼者ヨハネは更に発展させて、神に対して犯していた罪を「悔い改め」るしるしとして、罪の告白(現在の教会では聴罪司祭による「赦しの秘跡」として行われています)と一緒に施していたようです。
ところが、そこへイエス様がお見えになりました。イエス様は罪など犯したことのないお方です。当然、告白すべき罪もありませんし、「悔い改め」る必要もありません。それでも、人々の模範として率先して、神へとまっすぐに心を向かわせる行為である「洗礼」を受けたかったのです。
「悔い改め」とは、何だか、ややもすると舌を噛みそうな位音節が多くて、難しい響きの語ですが、「改心」とも「悔心」とも「回心」とも言います。「回心」とは、これまで神から離れ私利私欲や自己愛に走っていた私心を捨てて、心を神様の方に向けることです。自分の罪深さに無神経では神様の方を向けませんので、自然、己れの罪深さへの後悔の念と二度と罪を犯したくないと言う決意を伴います。だから「悔い改め」なんですね。難し気ではありますが、「神様の方へ向き直ることだ」と考えれば、今すぐにでもできそうではありませんか?

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January 08, 2005

【本日の福音】ヨハネ3:22-30より

あらら~、だんだんどこのTime Zoneで暮らしているんだか判らなくなってきましたね~。(^_^;)

英文テクストはこちら↓
New American Bible版テクスト(全米カトリック司教協議会による)

今日は、洗礼者ヨハネが衰え、イエス様が栄える、というくだりです。
福音の本筋とは離れるかもしれませんが、私はこのような「証し」が議論されるパッセージを読むと、今の信者と昔のユダヤ人との、言葉のもつ力と言うか重みに対する意識の違いみたいなものを強く感じます。「証言」と「正統性」とがイコールであるかのようで、ある種、羨ましさを感じたりするのですが。
さて、洗礼者ヨハネの台詞に出てくる「花婿」はメシア=イエス様、「花嫁」=敬虔な信者・洗礼を受けに集まる人々、です。これは、たとえ男性であっても、神や神に遣わされたメシアを慕い憧憬れる信者は「花嫁」だと言うのは、もう、聖書のお約束みたいなものです。そうすると、旧約聖書の中の「雅歌」の恋人の歌も、神と信者との熱烈なラブソングと読めるんです。けっこう、艶っぽい詩が多いですが。雅歌も立派な聖書の一部なので、当然、聖務日課(教会の祈り)のテクストですし、厳粛な女子修道院で、お堅いシスターが、俯きながら(心の中で)顔を赤らめながら、唱えたりしているらしいです。が、このような内容が信仰に相応しくないわけではなく、神の愛とは本来、これほど激しいものなのであって、人間の方が勝手に取澄ました冷たいものにすり替えてしまっているのでしょう。

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January 07, 2005

【本日の福音】ルカ5:12-16より

今日は初金でした! 主の聖心(みこころ)を崇敬するため、おミサに与ることが勧められています。
そんなこんなで(?)、今日も投稿が遅れてしまいました。先が思いやられますねぇ。

英文テクストはこちら↓
New American Bible版テクスト(全米カトリック司教協議会による)

さて、今日は、イエス様が重い皮膚病を癒す奇跡を行われた場面です。
この病人は、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願って、癒されました。この発言は、どこが正しかった(義とされた)のでしょうか?

病気でも何でも、本当に癒すことがおできになるのは、この世界を創造され、あらゆる自然法則を支配されている神おひとりだけです。神でないもの、偽預言者や偽預言者を助けている悪霊の類が、癒しめいた「まやかし」を行う時、直ったように見えて、実際には問題を他の部位へ転嫁しているだけで、そのしわ寄せで問題は却って悪化してしまいます。(例えば、不適切なダイエットで揺り戻しが来たり、多大な出費で不健全な財政状態に陥ってしまったり、対症療法にしかならない薬物に頼って副作用を招いたりするようなものでしょうか?)

そして、神は意志そのものでらっしゃるので、「そのようになれ」と願うだけで、被造物はその御意志に従います。つまり、神の御意志は実現します。(実現していないように見えるとしたら、人間の自由意志を尊重されているか、大変複雑に絡み合っている事象全体が関係しているために、実現までに時間がかかっているように見えているだけか、何か深いご計画があるか、のいずれかでしょう)

そして、この病人は、イエス様に対して「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言い、自分が癒されると信じたのです。

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January 06, 2005

【本日の福音】ルカ4:14-22aより

╋主の平安!(今日は北米での「主の御公現(epiphany)」の祝日でした)

皆さん、こんばんわ~。今日は投稿が大変、遅くなってしまいました。
以前、「黙想の手引き」と筆が滑って書いてしまいましたが、この連載はそんな上等なものではなく、せいぜいのところ一信者の「分かち合い」・感想文に過ぎません。その辺、ご了承下さいね。
また、今日から聖書英語テクストの引用場所を、全米カトリック司教協議会のものに変更します。Bible Gatewayの方は、皆さん、ブックマーク(お気に入り登録)されましたよね?

英文テクストはこちら↓
New American Bible版テクスト(全米カトリック司教協議会による)

今日は、イエス様が故郷ナザレの会堂でイザヤの預言を朗読し、「この聖書の言葉は、今日、(中略)実現した」と語り始められた場面です。福音では、この直後、ナザレの人々から迫害される場面が続きます。

私はこの、「この聖書の言葉は、今日、 (中略)実現した」とイエス様が宣言される場面は、最高にシビレちゃうんですねぇ。イエス様は、このナザレの会堂以外にも、普段から、安息日には会堂に入り、時には聖書の朗読に当たることも多かったことでしょう。実際、今日の福音の直前の箇所では「諸会堂で教え」られた、とあります。しかし、「この聖書の言葉は、今日、 (中略)実現した」と宣言されたことが記されているのは、この日だけみたいですね。いにしえより待ち望まれた救いの約束(預言)の実現を目の当たりにできた人々は、なんと恵まれていることでしょう! 本当に羨ましい限りです。

しかし、それも私の「岡目八目」なのでしょうか。 (^_^;) 幼い頃からよく知っている(場合によっては、「オムツだって取り替えてやったことのある」!)人物がメシア・救い主だなんて、きっと誰でも信じられないのでしょう。ナザレの人々は、せっかくメシアの到来を目撃しているのに、認めることができません。まだ来ていない、 (人間の限られた知恵を基準にして)もっとありがたい存在がメシアだと、何かもっと遠いものを期待しているようです。このあたり、『青い鳥』の教訓を彷彿とさせますね。(だからと言って、目の前にあるもの何にでも飛びついて、例えば、偽預言者だとかをメシアだと崇める態度もまた、困りものですが)

ナザレの人々は、イエス様がカファルナウムの町で行われたような癒しの奇跡をやってもらいたかったのでしょうか。メシアだという証拠を求めたのでしょうか。邪まな人々は、神から来たものでさえ信じたくないがために、頑なに徴(しるし)を求めようとしますが、しかし、別の箇所でイエス様が仰られているように、「ヨナのしるし以外与えられない」のです。カファルナウムでなされたような癒しの業は、小さき人々を見ては黙ってはおれないイエス様の慈しみの気持ちから出た、いわばサービスなのでしょう。聖トマスに言われたように、「見ないで信じるものは幸い」です。

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January 04, 2005

【本日の福音】マルコ6:45-52より

英文テクストはこちら↓
New American Standard Bible版テキスト

祈られるイエス様昨日の「パンの奇跡」に続いて、今日の福音は、イエス様が湖上を歩かれる場面です。
この節もそうですが、イエス様はよく「祈るために山へ行かれ」ますね。神であり、神のみ言葉そのものであられるイエス様も、人として地上で生活されておられた時には、御父なる神様と語らう為に時間を割かれました。「時間を割く」とは、「その人の為に献げる」と言う事です。私たちも、正しいものの為に、時間を割きたいものです。(…ああ、自分で書いていて、耳が痛いや…)

さて、湖上を歩く主・イエス様を見て幽霊だと勘違いした弟子たちに、イエス様は「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と仰られます。イエス様は真の神で、悪魔でさえ、その命令には逆らえません。「パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていた」弟子たちは、イエス様のことを「先生」と呼びながらも、イエス様が「主」である真の神、「主の僕」である約束されたメシアであることを飲み込めないでいました。聖霊降臨後の世界、聖霊を受けたこの時代(終わりの世)に生きている私たちは、その点、 聖霊によって主が真の神であることが識別できるように教えられているので、幸運だとも言えます。
しかし、多くのことを知らされているだけ、カトリック信者の責任は重大です。多くの恵みを受けながら、神の救いのご計画に協力しないカトリック信者は天国であまり良い場所を与えられない、とも、神から離れてしまったカトリック信者は異教徒で罪を犯した人々よりも重い罰を受ける、とも聞いています。「神の救いのご計画への協力」とは、例えば、未信者・異教徒の救いや罪を犯した人(煉獄の霊魂を含む)の赦しの為に執り成しを祈る、とか、侮辱(=メシアとして、傷ひとつないこの上なく完璧な「過越しの子羊」として、愛ゆえに人々の救いの為に、十字架にかかったことを正当に評価されないこと)を堪え忍んでおられる御聖体の中のイエス様をたびたび訪問してお慰めする、とかが考えられるでしょうか。

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これもツール・フェチ?

毎年春と秋、わが家では「パン戦争」が勃発します。私はふジパン派、父はやマザキ派。そう、「春(秋)のパン祭り」(これはやマザキ派のタームか…(`_´;)ゞ)の景品を巡る争いです。父はこんなに集めたパン皿をどーやって棺桶まで持っていくつもりなのかわからないほど、やマザキの皿を集めているクセにまだ集めたがるのですが、私が京都から横浜の実家に戻ってからは、簡単には、やマザキシールを集めさせたりはしません。キャンペーン期間がひと月ほど長めとは言え、みフィーちゃんの手提げバッグを自分の分と母の分、そしてできればアメリカの妹の分まで確保する、と言う難度の高いミッション、それこそ雨の日も風の日も、お腹をこわしていてもパンを食べ続ける、苦行にも似た使命を全うせねばならないので、情けは禁物です。 が、今年は作戦遂行の任に当たっていた母が、知らずにシールの付いていないエントリーモデルを買い漁っていた結果、かなりの期間を棒に振ってしまい、気が付いてみればキャンペーン終了まであと2日と言うところで、何かおかしいことに気が付いたのでした。

01040001…頑張りました。ラストスパートでの神業にも似た頑張りを常とする私も、今回限りは…とも思いましたが、なんとかひとつゲット。今日、届きました~!(なんのことはない、これが嬉しくて、投稿を増やしただけのことでした!)


※この原稿は、auから投稿してみました~

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【本日の福音】マルコ6:34-44より

英文テクストはこちら↓
New American Standard Bible版テキスト

マルコの福音書では最初の「パンの奇跡」の場面です。(2回目の場面は、 8:1-10)
私事で恐縮ですが、まだカトリックの洗礼を受けていなかった頃、国立大学の法学部にしては珍しく、クリスチャンの教授が多くいらした(最低3人はいましたね)中に、学内で定期的に「エマオ会」と言う、聖書を読む会を開いていらっしゃる先生がありました。その先生のお人柄もあり、珍しさも手伝って、その会に初めて顔を出してみた日のテーマがここでした。当時は、「主の晩餐」の意味も(ダ・ヴィンチの絵は知ってましたけど)、当然「御聖体(Corpus Christi)」のことも、何にも知らなかったので、こんな超能力めいた奇跡の話が一体どんな教訓をもっているのか、ちんぷんかんぷんだったことを憶えています。
もちろん、これは超能力の話がテーマなのではなく、来るべき「主の晩餐(あるいは、主の食卓)」と「御聖体」の秘跡の前表(ゼンピョウ、まえじるし)になっているのですが。(ほんの少しだけルールを曲げて、聖書を引用しますが)「天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ」なんて、ホントに今のおミサの情景そのままです!
最後の「パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった」のくだりは、実に象徴的です(多分、「5つのパンと2匹の魚」自体にも象徴的な意味があるんだと思うんですけどね)。「12」は今のEUの旗の星の数にもなっている通り、マリア様の冠の星の数ですが(→「ヨハネの黙示録」12:1)、もちろん、十二使徒の「12」でもあります。「でもあります」と言うより、マリア様の被られる冠の星は、マリア様を中心として祈った使徒たち、つまり後の司教職にある高位聖職者を中心とした、「キリストの神秘体」である全教会そのものを表わしているのでしょうから、当然なのかも知れません。(旧ユダヤの十二部族に対して、この「教会」や新しい「12」部族のことを「新しいエルサレム」とも「新しいイスラエル」とも言いますよね)

なんか初日から長くなってしまいましたね。おまけに、黙想の手引きと言うより、要理の復習のようです(^_^;)
それでもまぁ、なんとか続けていきましょう。

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【本日の福音】はじめまーす

さて、多少、日記的投稿でも続けられるように、新しいコーナーを始めることにしましょうか。題して、【本日の福音】。
主日のミサでいただく小冊子「聖書と典礼」には、巻末に、その一週間に朗読される聖書の箇所が掲載されています。が、今回利用するのは、それをさらに簡略化したカトリック手帖(四谷交差点のサンパウロや、麹町教会=聖イグナチオ教会の売店でも売ってます)バージョン。 (^_^;) こちらには、福音の朗読箇所しか掲載されていませんが、これで十分です。

なぜなら。

私め、ラファエラ姉さんには、2000年12月2日に、フリーのホームページサービスgaiaxで始めた新コーナー 「日々の聖句」が三日坊主ならず、たったの一日で頓挫してしまった、と言う苦い経験があるからです…。
思えば、毎日聖書を開き、ラテン語の勉強にもなり、人にも教えてあげられる、あわよくば福音宣教の場に…、と一石二鳥どころか三鳥にも四鳥にもなるかもしれない、グッドなアイデアだった筈なんですが、最初から燃え尽きてしまってはいけませんよね。 打倒!BurnOut症候群!!  ニフティのヴァーチャル庭園も枯らしてしまった(に違いない)過去をもつ私。今度こそは続けたい…。(あ、今日の朝刊に載ってたボールペン字講座も始めちゃおうか、一日20分だと言うし…;…なんて、筆記具3点セットに釣られたのがミエミエですね。異業種交流会等で白い万年筆持ってる私を見かけたら、笑ってやってください(*^_^*)>)

…はあはあ。最初からやけにトーンが上がってしまいましたが、肩の力を抜いて気楽に始めましょう。

現在、カトリックとプロテスタントの両方で共通に使われている聖書『新共同訳』は、本文を引用する手間が省けて楽です。と言うのは、私が聖書全文データベースCD-ROMを購入したから、ではなく、この新共同訳を始め、正統派の日本語訳聖書には、すべからく著作権が付いているからです。著作権の付いているテクストの引用は、著作権者へのご挨拶(許諾)がルールです。それは面倒くさいので、最初から引用を省略してしまおう、というのが、今回取り入れた方法論です(-_-;)
[※ それに日常的に、勝手な引用に悩まされているので、自分は人様のものを勝手に引用したりはしないぞ、と言うマニフェストだったりもします <耳が痛い読者さんもいらっしゃいますか~?]

でも、それではあんまりにも不親切なので、も少し歩み寄りましょう。
こんなのはどうでしょう:ネットから検索・コピペ一切自由な英語の聖書テクストへのリンクをつけます。そう、Bible Gatewayです。これなら、英語の勉強にもなって、一石二鳥でしょう! …それにしても、海外の聖書サイトはこんなにも充実しているのに、日本の聖書協会は…(溜め息)

…さぁ、始めるぞぉ~っ!

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【続報】ツール・フェチな私…

本日受信したメルマガ(ユーキャン繋がりで購読してます)に、百式さんが似たこと書いてました~
 ▼メルマガ「百式」読者でない方は、こちらをどうぞ

思わず使ってみたいツールの導入で、動作開始の閾値を低くする、というような趣旨に、激しく同感。
ついでに、周辺機器を充実化させてきた経緯から、すっかりご無沙汰になっているガジェット(?百色氏の場合はギターであったようですが)が捨てられない~、てな話も、微笑ましく、うんうんと共感。
…おっと、ここら辺は、ビジネスとマネジメントのウェブログ「霊妙なる器」 (※)的テーマに近くなってしまったかも…
 ※こちら(=「霊妙なる器」)は、プロヴァイダの仕様上、ubicast Bloggerを使ってません…(T_T)

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January 02, 2005

新年早々、風邪ですわ

寒いですねー。風邪引いているので、さっさと寝たらいいのに、携帯から投稿できると言うのを試してみたかったりします。 (*^-^*) ウェブログ初心者なら皆、同じことを考えるに違いなく、似たようなこと書いてる人、多いんじゃないかなぁ…。つまんないこと書いてごめんなさいねぇ。

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