ネットサーフィンで思いがけず、↓こんなサイトを見つけました。
フリーソフトウェアとカトリック教義の驚くべき共通点(ITmedia エンタープライズ)
先ほども、年賀状(…この期に及んで…(^_^;))やら、Webのデザインやらの為に、無料の画像処理ソフトをダウンロード・
インストールしたところです。今、この原稿を書いているのも、「ubicast Blogger」
と言うフリーウェアです。もう、私のパソコンライフとフリーソフトウェアとは、切っても切れません。で、「ん、何、何?」
と読み始めたのですが…。
タイトルの、いきなり「カトリック教義」と言うのにも、カトリック信者が国民の0.3パーセントと言う日本社会において、
あまりにも温度差があってぶっ飛びましたが、いかにも翻訳記事と言った感じで、一体、どう言った立場から書かれた記事なのか
(宣教師を応援する立場? フリーソフトウェアの「代名詞」とも言えるGNU文化?運動?を賞賛する立場?;多分、後者)、
文脈が把握しにくいものがありました。「正しい技術を選ぶだけで共通善が達成されるというものではないが、それを選ぶことは、
少なくとも正しい方向への必要な1歩である」と、教会に提言までしちゃってるけど。
「1私企業の生死によって存在が左右されるようなフォーマットも使うべきではなかろう。」確かにそうかも。でも、
使っていけないものでもないのでは。(Microsoftは当分、なくなりそうにないし…)
Openなシステムやアプリケーションには、例えば、BSD(Unix系OS;開発には日本人も多数参加している)
やOpenOffice.org(無料の、
Microsoft Office互換ワープロ、表計算、プレゼンテーションのパッケージ)等がありますし、私も蔭ながら応援しています
(本当に蔭ながら;だって、何も貢献してないし、ただ応援しているだけだから)が、では、普段から、
自分のチョイスとして自分が賛同しているOpenなシステムやパッケージを率先して使っているか、と言うと、全然。
(マシンリソースが貧弱だから、と言うのもあるけれど)Window3.1の「裏」に入れたFreeBSDは、
使うのは楽しいかもしれないけれど、やはり、普段モードのWindowsからリブートして使うには、地球脱出速度に近い「勢い」
が要るし(^_^;)、メールが読みたくなったら使い慣れたBecky!(…は、Windows95以降でないと使えませんが…
)を起動したくなってしまう。いくら「互換」とは言っても、 OpenOffice.orgは、やはりWordやExcel、
PowerPointではないので、微妙な使い勝手の違いが気になってしまう。どうしても、と言う時には使わざるを得ないだろうけれど…。
(実際、私と組版システムTeXとの出会いも、
修論提出直前にヴァージョンアップした一太郎がおかしくなったから、だからだし…)
「『正しい技術』は、必ずしもデファクト・スタンダードではない(から、使いにくいよ)」と言う考え方は、「狭き門から入れ」
と言う考え方を先鋭化させる原理主義的な人からは糾弾されそうだけれど(^_^;)、別に「大樹に巻かれよ」と言うのではなくて、
「異邦人を手に入れる為に異邦人のようになった」と言う聖パウロの道もある訳で、それこそ、
普遍の教会としてのカトリック教会は様々なバックグラウンドの国・民族・地域・階層に広がりゆくべきものなのだから、ことさら「正しい技術!
正しい技術!」と大義名分を振りかざして、「正しくない技術」を排斥する必要もないような気がします(勿論、その技術を利用することで、
罪を犯すことになるような技術は駄目ですよー)。「正しさ」の追求は、神の十戒のような基準、あるいは、聖パウロの「愛」の基準
(1コリント書13:1-13)のようなものがなければ、容易に人間疎外のイデオロギーに転化するもんですし。
ま、MicrosoftやNTT DoCoMo(のiモード;私は解約しちゃったけど)がなくなったら、
オルタナティブな技術へとさらりと翻身するだけのしたたかさくらい、教会、ないし、信者にはあると思いますけどね。
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